美忘録

羅列です

ブログ

ブログはすごい。

 

ブログの体をとることで、ただの自慢話でさえもが「ちょっとオシャレな生活報告」くらいのこざっぱりしたものに変わる。

 

また、全く価値のない日々の出来事をアクセス数として実際的利潤にコンバートさせられるというのも素晴らしい点である。

 

このように、ごくパーソナルな感情列挙にある程度の「権威」を与え、読む者に「恩赦」を芽生えさせるためにブログという媒体が存在しているのだ。

 

と俺は思ってきた。

 

だがしかし現状は惨憺たるものであった。

 

自己の価値を高める、或いは自己をひけらかす「手段」としてのブログの時代は終わりを告げたのだ。

 

「○○してみたwwwww」などという扇情的なタイトルの記事が並び、あらゆる手を用いて面白おかしい内容にしようと躍起になる人々…

 

今やブログを書くこと自体が、また、閲覧数を稼ぐこと自体が「目的」なのだ。

 

そう、自己表現の機会として与えられた「環境」に我々が逆に支配されているのだ。

 

このことは動画サイトなどにも言える。

 

「ジュース早飲みしてみた」だの「女装して町に繰り出した」だの、挙げ句の果てには「おしっこ飲んでみた」だのお前らアカウント作成と引き換えに尊厳でも奪われたのかと言わんばかりの内容の動画ばかりがおすすめ動画に表示される。殺すぞ。

 

これこそが自己表現の機会を与えられすぎたインターネット・おたくたちの成れの果ての姿である。

 

自己承認欲求はもはや閲覧数や再生数などといった可視化された数値によってしか満たされなくなり、インターネットは自己承認欲求と実際のポテンシャルがまるっきり乖離したようなおたくで溢れかえり、結果的に俺やSyamu_gameのような怪物を生み出してしまったというわけである。

 

こういう手の人間は閲覧数などは全く伸びないのに、それでも閲覧数をかき集めるべく余計に投稿ペースのみが加速していくので本当にどうしようもない。

 

こうしてあらゆるブログや動画サイトなどはごく一部の秀逸なものとその他99%のゴミで構成されるようになるわけである。

 

地獄だ。

 

しかしその現状に対峙してもなお自己承認欲求は留まるところを知らない。これはもう人間として生まれたからには誰もが持つカルマなのだろう。

 

そこへ、インターネットが普及して、ブログや動画サイトなどが成立してしまったわけだから、それを大義名分にありったけのカルマをブチまけることさえ可能になってしまったのだ。

 

もう手の施しようがない。

 

こうして我々のカルマに満ちた人生はこれから先も続いていくのだ。

 

インターネットがある限り永遠に。