美忘録

羅列です

自転車は最強

自転車を買った。高円寺のサイクリングショップが軒並み閉業していたので早稲田まで足を運ぶ羽目になった。早稲田はクソ。

 

金がないのでギアチェンジ不能な1万4千円のカゴ付きクソチャリに甘んじた。もちろん保険は付けない。金がないので。

 

私はその場で自転車に跨り、そのまま新宿へと繰り出した。春先に何時間もかけて味わってきた感慨がわずか数分のうちに過ぎ去っていく。

 

なんと速いのだろう。私は、私はこんな短い距離ごときで疲弊していたのか。自転車はこれほどまでに便利な道具だったか。

 

容赦なく降り注ぐ日射しに辟易しながらダラダラ歩く人混みの間を颯爽と通り過ぎながら、自転車を持っていない人間は愚かだなぁと優越感に浸っていると、ふいに絶望が私の眼前に現れた。

 

デブだ。

 

デブが、デブが道を塞いでいる。

 

道幅の7割を自らの贅肉で封鎖している。現代社会が生み出した魔物だ。

 

しかも、

 

イヤホンをしている。

 

イヤホンだ。

 

イヤホンデブである。

 

外界の情報を一切遮断し己が殻の中に永久に閉じこもりながらも周囲の人間に迷惑をかけることはかかさない百害あって一利なしの史上最恐の生物兵器、イヤホンデブである。

 

オイオイオイ死ねよコイツ。

 

俺様は自転車ユーザーだからお前より偉いんだぞ、どけよ。

 

しかし私は賢いフレンズである。今ここでこの不愉快な肉塊を轢殺したとして、私に不利益が生じるのは自明である。私は考えた。考えて、考え抜いた末に、

 

―――自転車を降りた。

 

自転車が初めて人類に敗北した瞬間だった。しかも、こんなデブに。

 

デブに敗北した悲しみに暮れながらも私は自転車を漕ぎ続けた。メロスの如くひたすら走り続けた。いやメロス自転車使ってないけど。

 

新宿から自宅までをつなぐ青梅街道は延々と広くてまっすぐなので自転車ユーザーにとってはこれ以上ありがたいものはない。30度の炎天下の中、買い物かごを抱えながらイライラした顔で歩くババァに心の中で「死ねバァァァァァカ」と中指を立てながらシルベスター・健を飛ばした。シルベスター・健というのは私の自転車の名前で、私が今適当に付けた。由来はもちろんシルベスタースタローンと高倉健である。

 

家に着いた。すげぇ、こんなに早く着いちゃうのかよ・・・やべぇ・・・

 

私は自転車を手に入れ遂に無敵になってしまった。

 

私に勝てる人間などもはやこの世にはいない。

 

ケンカならいつでも買ってやるから死にてぇ奴は高円寺まで来な。

 

2秒でボコしてやるよ。

帰郷

金曜日、実家に帰った。文化祭に参加するという口実だったが、本当は友人やら後輩に会いたかっただけである。このように歳を食えば食うほど人は本心を韜晦したくなる。動機がなければ我々は何もできない。鬱。

 

新宿発飯田行きのバスを降りると、土臭い田畑の匂いが私の鼻腔をスーッと通り抜けた。高校時代の私は受験勉強で忙しいことを言い訳に堕落しきった生活を送っており、従って免許など取得しようとすら思っておらず、15キロ離れた自宅に帰る術がなかったので、仕方なく小学生時代からの幼馴染に送迎を頼んだ。

 

「よう久しぶり!」

 

3か月ぶりの邂逅を果たした彼の髪は鮮やかなピンクに染まりきっていた。

 

知っているぞ、こういう人間は友人を乗せた車の中でとりあえずEDMを流す。夜の国道153号線を我が物顔で疾走する。親の車で。

 

すると案の定彼は「なんか流すわ」とおもむろに携帯を車のスピーカーに接続しはじめた。おいやめろ、お前、いいのか、そんなテンプレみたいな生き方で。おい、やめろ、おい!

 

午前8時に目覚めた。よくわからんEDMがまだ頭の中で鳴り響いている。死んでほしい。

 

9時になるとピンク髪の幼馴染が家の前まで迎えに来た。この日はEDMの代わりに三代目J SOUL BROTHERSでんぱ組.incが無限に流れ続けた。俺はもうお前がわかんねぇよ…

 

放浪ドライブの末に変な山に着いたので写真を貼っておこうと思う。美しい私たちの町です。f:id:nikoniko390831:20170628092547j:image

 

時刻が午後1時を回ったのでとりあえず母校の近くの高校の文化祭に乗り込んだ。ここは私の母校より偏差値が10以上高い進学校様なので部外者の我々には人権がなかった。

 

人権もなければ友達もいないので校内をグルリと一周回っただけでなんか飽きてしまった。すれ違う人間全員が一流大学に行けるポテンシャルを秘めているんだろうなと思うと身震いがした。やはり私は上を見て己を奮い立たせるというよりかは下を見て安寧に胡座をかく方が性に合うようだ。

 

さていよいよ我が母校飯田風越高校に辿り着いた。相変わらず配慮のはの字もない急勾配の通学路に精神を摩耗させられながらも私は頑張って歩いた。すごい偉い。

 

校門をくぐり抜けるやいなや見知った顔があちらこちらに散見され、不意にノスタルジーが襲いかかってきた。

 

懐かしい気持ちに苛まれながら校内を周回していると、「あっ!因果じゃん!」「因果先輩チィーッス!」といった具合に仲の良かった同輩後輩が話しかけてきた。岡本ではなく因果と呼ばれるあたりにインターネット人格としての「因果」の方が現実人格の「岡本」よりもはるかに訴求力が強いことがうかがえる。負けんな岡本!頑張れ岡本!

 

そんなこんなで色々な後輩に現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話や現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話などを中心に、私が卒業した後の学校の様子について様々な話をしてもらった。

 

そうか、我々がいなくなった後も、高校生活というもの自体は連綿と続いていたのか。そしてその潮流の外へと疎外された我々はただひたすら「そうかそうか」と頷くことしかできないのだな。「もう戻れない」という実感を帯びてノスタルジーはより鮮明さを増した。

 

いやまぁゲロの話しかされてないんだけどさぁ!

 

翌日(日曜日)の早朝、狙いすましたかのように長野県南部を直撃する地震が起きた。天変地異さえもが私を憎んでいるのか、私が何をしたというのか。炎上の代償がこれか。殺すぞ。トラフには何とか勝ちたい。

 

文化祭2日目は生憎の曇天だった。

 

3ヶ月ぶりに担任に遭遇した。相変わらず理学部2年みたいな風貌をしていてとても英語教師とは思えない。首都大に落ちた報告を電話で伝えたら「ざまぁみろ」と言われた事件以降連絡を取り合っていなかったが、まぁ元気そうだった。なんか順風満帆っぽくて腹が立ったのでクレープを奢らせた。去年よりホイップが多めだった。

 

その後は部活の後輩のギター演奏をまるで保護者のような眼差しで見つめていた。多分後輩の皆さんは「何見てんのコイツキモ…」といった不快感を覚えていたことだろう。なるほどこういう世代間の認識の齟齬が老害OBを生み出していくんだろうなぁと思った。

 

全ての演目が終わり、拍手喝采の中で文化祭2日目が終わりを告げ、「部外者」の我々は早々に追い出された。

 

校門を出た際は10人ほどの集団だったが、駅に向かうにつれ一人、また一人と人数は減っていった。「飯田風越高校」という紐帯が解けた我々は、もはやこれ以上一緒にいることができないんだろう。高円寺駅から暗い夜道を一人歩きながら、そんなことを考えていた。

 

さて、自校の文化祭に初めて「客」として参加してみたわけだが、主体的に、「開催者」として参加するそれに比べると、やはり物足りなさを感じた(すごい楽しかったけどね!)。

 

言ってしまえば、クソダサいクラスTシャツを着たまま校内を闊歩する自由がなければ、誰もいない部室に勝手に入って寝られる自由がなければ、「ここから先展示物なし」の張り紙を無視する自由がなければ、文化祭も、地域で毎年開催される納涼祭と大して変わらない。

 

二度と戻れない高校時代を羨望する気持ちもあるが、色々欠落しているとはいえ大学生活は毎日楽しいので、もう後悔はない。多分。

 

ただ、そうはいっても高校と大学ではやはり楽しさの趣向が全く違うので、そういう点においてはやっぱり高校っていいなぁと思うことは多々ある。

 

適度に過去に引きずられつつも前を向いて生きていきたいと思った。

 

とりあえずまずは部屋を片付けて、それからアコギを買おう。

都会生活

山、川、森、空気…と海以外の自然的要素なら全て揃った哀愁と絶望の魔都長野を離れて早1週間が経過した。

 

ぎこちないスーツに身を包み街を闊歩する新卒社員の波に揉まれながらも何とか都会のイロハを把捉しつつある今日この頃である。

 

さて、長野県を離れられる歓びも束の間、私はある不安を抱えていた。

 

そう、隣人関係である。

 

私の家庭はお世辞にも上流階級とは言えず、木曜の晩に出たカレーライスが土曜の昼飯になる程度には金がない。

 

そういう背景事情によって私は県で運営している寮に押し込められることに相成ったわけである。

 

寮というのはどうしてもプライベートが確立されず制約の鎖に縛られる窮屈な空間であるという先入観がはたらくが、実際そんなことは一切なかった。

 

個室は1人で使うには広すぎるくらいだし、寮生も皆同県出身ゆえに田舎くたばれネタを共有でき会話も弾む。

 

こうして住居に関する不安は杞憂に終わった。

 

しかし不安は絶えない。前進は痛みを伴うものであるとはいうが、まさにこの時期こそがそれに該当するだろう。大学生活が始まった。

 

私が通う大学はとにかく品位を重んじている節がある。思想が絡んだ感じのサークルやら研究会が発足されれば問答無用で弾圧されると聞くし、お嬢様高校上がりのボンボンが多いので運動面でもあまり良い話を聞かない。

 

このように何につけてもメソテースを気取る八方美人大学なので「クソフィア」「豆腐大学」などといった蔑称がたくさんあるのは周知の事実であろう。

 

私は自分が個性的な人間であるといった自覚はないし、これからもそう思う気は微塵もないのだが、残念ながら自己評価と周囲評価は往々にして乖離しているもので、友人や教員、果ては親や親戚にまで「お前はズレている」といった旨の罵倒を背に受け今まで何とか生きてきた。

 

もちろんその罵倒の中には「お前に上智は無理」「上智の品位が下がる」「上智の女を俺に紹介しろ」といったものも含まれており、私はそれについて少しばかりは苦悩していたわけである。

 

だがしかしこれもまた杞憂に終わるわけである。

 

「哲学科はヤバい」という謳い文句は、例を挙げるならJKがSNSに撒き散らす「ウチらってマジパーリーピーポーだよね〜マジで〜」といった肥大化した自己顕示欲求と帰属欲求選民思想が織り成す限界三重奏のようなものだと思っていたが、大学ともなると話は別であった。

 

哲学科はヤバい。

 

だがしかしこれは私を水を得た魚のように活気付かせた。例えば私が頭の中で渦巻くカオスな考えをそのままべらべらと口に出したとして、ここの学科の人間がそれを「あっそ」と片付けることは少ないし、あまつさえそれに対し何らかの賛同、あるいは批判を加えてくれるのだ。

 

いい学科に入ったと思う。せいぜい極端思想にドップリハマったり落単芸人になったらしない程度に大学生活を謳歌したい。

 

ゴミのような高校から無茶をして上京してきたが、これは正しい選択だったと私は思っている。マテリアル的にも、精神的にも、ここは私にとって最適の地である。

 

この地で生活できることを、高校生活においての自分の努力と何とか金を捻出してくれた親に感謝したいと思う。