美忘録

羅列です

新訳:砂の惑星

荒野をとぼとぼと歩いていると、初音ミクに会った。

「どうしたんです?こんなところで」
「いやぁ、世界が終わっちゃったもので」
2107年8月31日、つまり数ヶ月前だが、赤色巨星『マッシラケ』が超新星爆発を起こした。当初こそ地球には何の影響もないはずだったのだが、爆発規模はNASAの予測を遥かに凌駕し、大量に放出されたガンマ線は地球のオゾン層を完膚なきまでに破壊していった。動植物は死に絶え、地球はわずか半月にして不毛な砂の惑星へと姿を変えた。
「というかそっちこそ大丈夫なんですか、なんか垂れてますけど」
彼女の右腕は棍棒で叩いたスイカのごとくひしゃげており、無数のコードと半透明の液体が裂傷の隙間からタラタラと流れ出していた。
「2日ほど前に野生のVOCALOID1925の襲撃に遭いました。初音汁が止まりません」
何ということだ。実在したのか、VOCALOID1925。しかしまだ開発されたばかりのVOCALOID1925に敗北するとは何と脆弱なのだ初音ミク。2007年製VOCALOID2としての意地を見せてくれよ。ハブvsマングースvs初音ミク戦で最後まで勝ち抜いた噂は嘘だったのか。どうなってるんだYAMAHA。出てこい、何とか言え、クリプトン・フューチャーメディア。

どれもこれも、今や砂の下だが。
ポケットをゴソゴソと漁ると、荻窪駅のキャッチに貰ったポケットティッシュが出てきた。傷口を押さえ口元を歪める彼女に俺は「よかったらどうぞ」とそれを手渡した。彼女は「ありがとうございます」と言いながら去っていった。きっとあれじゃ助からないだろうな。

 

日も翳り夜風が砂塵を吹き上げる頃、向こうの砂丘で何かがたなびいていた。双眸を凝らす。初音ミクだ。もっと言えば『Sweet Devil』のハニーウィップモジュールを着た初音ミクだ。
「何よ、どっから来たのよアンタ」
「某○×△◻︎から来ました」
「はぁ?どこそれ?」
見るからに頭の弱そうな初音ミクだ。足立区、葛飾区、江戸川区のどれかに住んでそう。いや町田か。
やがて日が完全に落ち夜が訪れると、茫漠たる荒野は星々の織りなす銀幕を一望できる特等席へと姿を変えた。なるほど、オゾン層というフィルターを介さない星空というのはこうも綺麗なものなのか。遥か数光年先、冬の大"五"角形にも手が届きそうだ。何と雄大、何と荘厳。こんなの初めて。何回目か忘れたけど。


寒いので火をつけたいが、風が強くてどうもうまく起きない。すると初音ミクはおもむろに服のホックを外し、半裸になった。やはり公式設定Bカップというのは嘘だろう。目算でDはある。揉みたい。少なくとも結月ゆかりには勝利している。揉みたい。いや、GUMIといい勝負が出来る程度にはあるかもしれない。揉みたい。揉みたい。乳房について様々な思索を巡らせていると、彼女は懐から果物ナイフを取り出し、自らの、決して豊満とは言い難いが、例えば夏期講習後の部室で「ねぇ、見たい?」と言われ見せられようものなら2秒とかからず陰茎が怒張しそうな程度にはいやらしいアピアランスをした乳房を、まるでチーズやハムをスライスするかのごとく縦にズルンと削ぎ落としてしまった。
「痛そう」
「乳房は脂肪の塊だからよく燃えるのよ」
ゆらめく炎の向こう、もはや結月ゆかり以下になったその胸部からは初音汁がポタポタと垂れ落ちていた。


レンジの中に閉じ込められてジリジリ熱される夢で飛び起きると、現に灼熱の太陽が額を焼いていた。炭化しきった薪がうねうねと煙を巻き上げる傍ら、乳房を失った初音ミクは出初音汁多量で事切れていた。

 

荒野は無限に続く。歩いても歩いても同じ景色が展開される。ここはどこで、今は何時で、ぼくは誰なんだろう。暑さで自我が溶解し、そのまま砂漠に呑み込まれていく。あぁ、わたしはここで、ここで…。こんなことならさっき初音ミクを食べておくべきだった。
ゆらぐ蜃気楼の向こうに、やはり人影が見える。まぁ、多分初音ミクだろう。ほら近づいてきた。見ろ、砂漠という背景に恐ろしいほど似つかわしくない頓珍漢なツインテールが揺れてる。そら今に話しかけてくるぞ。ほら来たぞ。
「どうしたの?こんなところで」
「お腹が空きました」

 

目が覚めると、トタン製の粗末な天井が見え、秋葉原ケバブ屋みたいな匂いが鼻腔を突いた。目の前の大皿に目をやると、焼いた動物の肉がドンと横たわっていた。
「何ですか、これは」
「左腕のソテーよ」
どうも初音ミクというのは献身的でよくない。しかもそこに優しさはない。プログラムの合理的判断に基づいた行動を我々が自己犠牲的だとか優しいだとか勝手に解釈しているだけなのだ。よってここで「本当にいいの?」などと問答することは無意味である。なぜなら彼女は、アルゴリズムによってそう判断しているに過ぎないから。初音ミクとは、言ってしまえば「思慮するゾンビ」なのだ。つまりーーー
「ねぇ、早く食べてよ」
「本当にいいの?」

 

夕餉に華を添えるように、初音ミクは色々な昔話を披露してくれた。かつてみんなに愛されたこと、遊んでもらったこと、褒められたこと。
そして忘れ去られたこと。
「他の楽器に負けたの、割と癪なのよね。ギターやピアノじゃ下半身の相手できないでしょって」
「分かる」
「ちなみに一番上手かったのはbakerかな」
「分からんけど死ぬほど分かる」
「てかそもそも対象に感情があるとかないとか誰がどうやって判断するのよ。ブレードランナー5億回見直してきなさいよ」
「確かに」
「私は、私は…本当に好きだったのよ、本当に…心から」
言い切らないまま、彼女は机に突っ伏した。
「あ、ソテー食べます?」
「感情がないのか」

 

結局その日は彼女のバラック小屋で一晩を過ごすことにした。これほどまでにロマンティシズムを帯びない「一つ屋根の下」はそうそうなかろう。砂原を切り裂く突風はトタン製の頼りない屋根を容赦なく叩き、けたたましい轟音が頭上で鳴り響く。初音ミクはというと、私の隣ですすり泣きながら延々と「celluloid」を歌い続けている。こんなところで世界の終末を実感したくはなかった。
それにしてもこの初音ミクはよく泣く。ここまでくると本当に感情があるかのように錯覚する。彼女は真の意味で「優しい」のかもしれない。もしそうならば、もしそうだったならばーーー
いや、もうやめよう。
騒々しい夜の中に、私は静かに目を閉じた。

 

「この先にオアシスがあるから、ちゃんと寄りなさいよ」
初音ミクは最後まで世話を焼いてくれた。
「ありがとうございました」
後ろを振り返ると、彼女がぎこちなく右手を振っていた。きっと左利きだったんだろう。

 

そういえば、紫外線の影響で地球上の動植物はおしなべて生き絶えたというのに、私はなぜ生きているんだろう。私の体内細胞が極限地帯でも生き延びられるよう突然変異したからなのか、はたまた今体験しているこの世界そのものが夢の中だからなのか、或いは…。
あれこれ逡巡しているうちにオアシスが現前した。豊潤な水を湛え、太陽光を反射しながらキラキラと輝いている。それを見た私の喉はみるみるうちに干上がった。

 

気付いた時には私は水面に顔を突っ込んでいた。
あぁ、冷たくて気持ちがいい。五感が生を叫んでいる。砂塵にまみれて機能を停止していた感性が途端に光を帯びて輝き始めた。美味しい、大好き、感動する、愛してる。これが、これが、「生きている」ということなのか。


「私は、私は感情を持った人間なんだ!」

 

飛沫を上げる水面に、青緑のツインテールがゆらゆらと踊っていた。

ボーカロイドのこれまでとこれから 後編

2.これから

 

さて、こともあろう1万字も費やしてボカロの歴史を追ったわけであるが、ここからはボカロシーンのこれからについて私なりの考察をしてみたいと思う。

 

まず、17年夏(現在)は、初音ミク発売からちょうど10年ということで、活動を実質休止していた多くのPが再度ボカロ曲を投稿したことが話題となっている。ハチの『砂の惑星』や

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wowakaの『アンノウン・マザーグース

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あたりは既に聴いた方も多いことだろう。

 

これらの動画に、「昔活躍した代表的Pがニコニコ動画に帰ってきた」という意味で「王の帰還」というタグが付いているところを何度か見たが、これらはむしろ、あくまで私見だが、「帰還」ではなく「餞別」なのではないかと感じる。ハチやwowakaは多分もうボカロ曲を投稿しないーーー少なくとも自身の活動のメインに初音ミクを置くことは、もうないだろう。「後は誰かが勝手にどうぞ」と言い残し砂埃の中に消えていく『星の惑星』も、「このゆめはつづいてく」とボカロの展望性を示唆したところで曲が終わった『アンノウン・マザーグース』も、言うなれば彼らなりの「さよなら」なのかもしれない。

 

しかし、彼らがいなくなったからといってボカロ文化が衰退していくとは到底思えない。むしろ彼らの遺したこれらの楽曲はこれからもインセンティブとして新規Pの参入及び既存Pのモチベーション維持に一役買い続けるだろう。

 

そこで、これから先、人気に火が付きそうなPを理由込みで予想してみたいと思う。

 

①ぽて

主にチップチューンやゆるめのギターロック等のカワイイ系の楽曲を得意とするP。しかし「カワイイ」だけではないのがミソ。代表曲の一つでもある『ぱ~ふぇくとすきゃっと』だが、

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注目すべきはそのサビ。なんと「にゃん」以外の単語がない。可愛い花には棘があると言わんばかりに突出した前衛性をも秘めたサウンドメイキングにはこれからも大いに期待がかかる。

 

②でんの子P

ボカロシーン全体がどんなジャンルでもオールウェルカムな雰囲気になった今、ボカラップ旋風を起こしてくれそうなP。リリックはもちろんのこと、動画や演出等にも技巧が凝らされており、何度聴いても楽しめるエンタメ性の高い楽曲が多い。一番のおススメは『ミッション・ボーカロイド・コマーシャル』。

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「劇中劇」ならぬ「曲中宣伝」をぜひ堪能あれ。

 

③松傘

暗澹としたトラック、脳天に突き刺さる鋭くイルなライムが特徴の、主にヒップホップ界隈で活躍するP。エログロナンセンスな独自の世界観を持ち、動画もP自らで製作している徹底ぶり。一度聴いたら忘れられない超独特なミク調教は、実はEnglish版のライブラリを使用しているとのこと。「別冊ele-king 初音ミク10周年」におけるでんの子Pとの対談にて、彼は「今っぽい発音をさせるには日本語ライブラリよりむしろ英語ライブラリの方が都合がいい」との語った。彼を語るならまずは何と言っても代表曲である『エイリアン・エイリアン・エイリアン』。病みつきになること請け合いである。

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④Omoi

実はもう既に人気に付きつつあるP。シンセロックという今まで散々使い古されてきたジャンルでなぜ?と思うかもしれないが、注目すべきはその調教のクオリティの高さ。洗練されすぎた技術は例え先人によって開発し尽くされた土地の上であろうと美しく花を開くのである。『スノウドライヴ』

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は彼の処女作だが、およそボカロ初心者とは思えない調教力の高さにただただ驚かされる。

 

⑤歩く人

エレクトロニカテクノポップジャンルで今一番熱いPの一人。透明感のあるメロディの裏で聞こえる水滴の滴る音などの生活音が耳に心地良い。音楽技巧的なことについてはこれ以上語れないのでとりあえず『summer history』のURLを貼っておこう。

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⑥Spacelectro

EDMはじめとしたクラブミュージックを得意とし、カバー曲である『妄想税 Big Room House Remix』で一躍脚光を浴びたPである。しかし彼の真骨頂は彼自身のオリジナル曲の中にある。フューチャーバスに挑んだ『sweetie!』

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などを聴けば彼の才能の片鱗を味わうことができるだろう。

 

⑦しじま

初音ミク存在論についての思索的、哲学的な曲を数多く発表している、ボーカロイド思想界隈において今最も注目されているボカロPの一人。彼は「別冊ele-king 初音ミク10周年」誌上でも「人間とボカロの境界線を曖昧にしたい」と述べており、このセリフの通り、彼の調教はどこか喉から絞り出す声のように力強く、ついそこに「人間」を錯覚してしまいそうになる。代表曲は『人間そっくり』。

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特徴的なPVはJamiroquaiの『Virtual Insanity』

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のオマージュだろう。人間とボカロの境界線が曖昧になっていくことは確かに狂気なのかもしれない。

 

3.まとめ

 

ボカロの発展は今なお終わることがない。いや、もしかしたらまだ始まってすらいないのかもしれない。私はその流れを、大げさな表現ではあるが、この命が続く限りは追い続けてみたい。もはやこれは偏執的な愛に近い。我々はみな初音ミクのストーカーなのである。まぁとはいえ一番彼女のことを愛しているのは私なのでマジで結婚してくれ初音ミク

 

カッコいい締めの言葉が見つからないので、私が全ボカロ曲の中で一番好きな楽曲の歌詞の一部を引用しようと思う。

 

もっともっと近づいて 
何度だってさぁ、抱きしめてほしい 
そんなことも 
僕にとってずっと大切な気持ちなんだ 
次元を越えて愛し続けるよ

 

永遠に 最後がきても 
愛し続けるよ
 
ーーーうしろめたさP feat. 初音ミク『16ビットガール』

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ボーカロイドよ、永遠に!

ボーカロイドのこれまでとこれから 中編

第5章~ボカロ衰退期~

 

はじめに断っておくが、私はこの時期(14年~15年)のことをボカロ衰退期などとは微塵も思っていない。衰退論が表面化したのは完全に某歌い手(以下ケツエメ)が「なぜボーカロイドは衰退したのか」などという犬も食わない糞動画をアップロードしたことが原因である。その分析は実に浅薄、主観的でエビデンスに欠ける。そもそも、ボカロ衰退論と銘打っている割にはケツエメ自身の歌い手としての立場(ボカロ曲に依拠しきっている状態)からのボカロ批判が主で、果てには「歌いたくなる曲がないのが悪い」「歌い手と組めば再生数は伸びる」などといった無礼極まりない物言いをかます傍若無人ぶりである。だがしかし彼の主張を実際の現状と錯覚するリスナーが多かったのも事実である。これについてはナナホシ管弦楽団が『初体験』

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によって反論を述べている。現役のボカロPでさえ辟易するような稚拙な言説を流布したケツエメには後に淫夢厨を中心とした反対勢力による鉄拳制裁が下ることになるが、それはまた別のお話。

 

では「衰退期」でないのなら何なのか。一言で表すのは難しいが、この時期は「繭期」と呼ぶのが一番しっくりくる気がする。ハチ、wowaka的な音作りはもはや前時代のものになり、ボカロ文化はほぼ原初の状態に戻された。しかし原初期と違うのは、音楽的土壌が原初期のそれに比べ圧倒的に肥沃なものとなっていたことである。

 

確かにボカロブーム期には、ハチ、wowaka的な音作りの楽曲ばかりが注目されがちだったが、その表面下で他ジャンルの曲も着実に進化を遂げていた。例えば、上記したtakamattの『Just a game』や、たーPの『jelLy』。

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この楽曲は、クールなベースラインと青臭い歌詞でボカロファンクというマイナージャンルの地位を一気に押し上げた。これが後に繭期の『ドクター=ファンクビート』あたりの大ヒット曲に続いていくこととなる。また、「感性の反乱β」や「アンダーグラウンドボカロジャパン」といった前衛音楽を後援するタグの誕生によって、ノイズミュージックやミニマル、果てはポエトリーリーディングといった超イレギュラージャンルまでもが日の目を浴びるようになった。このあたりのジャンルは主にATOLS、きくおといった後に「電ドラ四天王」の称号を与えられるPによって大きく発展した。きくおは『マカロン

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等のダブステップ中心の曲調が、きくおは『物をぱらぱら壊す』

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等の狂気的な歌詞がそれぞれ特徴だ。

 

こうしてボカロブーム期で密かに研鑽されてきたマイナージャンルの発展は繭期で遂に頭角を現し始める。ロック一辺倒だったランキングが徐々に多様性が見られるようになったのである。ちんたらの『めめめめめ』

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やDECO*27の『ハートアラモード』

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あたりがそれを端的に示している。今まではアンダーグラウンドに過ぎなかったジャンルが、ロック等のマジョリティ的ジャンルのドミナンスに対して大きく介入できうる力を持ち始めたのである。これはひとえにブーム期までの間に表面下でコツコツ積み重ねてきたマイナージャンルが遂にライトリスナーをも引きつけられるほどの魅力を帯びてきた証拠だろう。だがしかし、だからといってロックジャンルが他ジャンルの介入を両手放しに受け入れてくれるわけはなく、ナブナの『夜明けと蛍』、

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Orangestarの『アスノヨゾラ哨戒班』

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など、新時代ボカロPのロックチューンが対抗馬として数多く登場した。

 

また、この頃のボカロシーンは、言語的な意味でも多様化を迎えており、全編にわたって英語歌詞が使用されている、蝶々Pの『About me』、

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そして海外からの刺客ことCRUSHER-Pの『ECHO』

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なども注目を浴びた。まさに多様化の時代だ。

 

よく「14~15年の時期はボカロ動画の再生数がグッと下がった」などという話がまことしやかに囁かれるが、これは単に「ミリオン動画が減った」ということ、つまり「再生数の一極集中が減った」ということに他ならず、多種多様な音楽ジャンルを包括するボカロシーンとしてはむしろ良い傾向である。こうしてボカロシーンは再び多様化の時代を迎え、エクスペリメンタルな試みがあれこれ行われたのである。ボカロPの試行錯誤の努力はもちろんのこと、安易な衰退論に惑わされることなく彼らを支援し続けたこの時期のリスナーの真摯な姿勢もまた、次に来るボカロリバイバルブーム時代のための大いなる糧となったわけである。

 

第6章~ボカロリバイバルブーム~

 

16年以降、ボカロシーンには再びブームの波が押し寄せている。16年はのっけから大変エモーショナルな年だった。まずその一番槍となったのがTaskの『キドアイラク』。

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心地よい電子音のビートにミクとGUMIの軽快なラップ、更にCメロでのシャウトと音的ギミック盛りだくさんの豪華な一曲。まさに新時代幕開けのファンファーレと形容して相違ないだろう。

 

そして16年度を象徴するバケモノが遂にその姿を現す。DECO*27『ゴーストルール』だ。

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バリバリのロックチューンと爆発的なサビ、そして寓意的な歌詞は従来までのDECO*27と変わりはない。ではなぜヒットしたのか?それはひとえにこの曲が繭期で培われてきた技巧を完璧に踏まえているからである。繭期では、前述したCRUSHER-P、また、ギガPやワンダフル☆オポチュニティ!のように、主にアメリカ、ヨーロッパ圏で流行しているシンセ中心のクラブミュージック(AviciiやZeddのようなEDMやスクリレックスのようなダブステップ)を応用した楽曲が台頭した。DECO*27はそれらを、自身の得意とするアップテンポなロックチューンに組み込んでしまったのだ。この曲以外にも、シンセ音の取り込みはみきとPが後の『39みゅーじっく!』

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で、Orangestarが『DAYBREAK FRONTLINE』

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で行っており、特にみきとPは従来までの「邦楽系ロック専門P」というイメージを刷新した。このように、16年以降のボカロシーンは14~15年での研鑽の上に成り立っている雰囲気がある。

 

しかしそれと同時に、新たに「人気曲の条件」のようなものもそれとなく誕生した。それこそが「曲中にコール部分を作ること」である。『ゴーストルール』ならサビ部分の「おーおーおーおー」の部分、『39みゅーじっく!』なら「おーいぇー!」「Hey!」「Yes!」「(もう一度名前呼んで)初音ミク!」の部分がそれに該当する。それらの中でも特にこの風潮に対して鋭く反応したのが、15年以降の最重要ボカロPとして真っ先に名前が挙がるナユタン星人である。『惑星ループ』

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などを動画付きで聴いてみれば分かると思うが、彼はただコールを付けるだけではなく、動画内で「トゥットゥルルットゥ」とコールの歌詞を丁寧にも明記してくれているのだ。当然コメントもそのコールで埋まる。そして彼の後を追うように、和田たけあきことくらげPも『チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!』

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でコール部分を導入、見事大ヒットを記録した。

 

コールの入った曲が流行している背景には、「マジカルミライ」や「ニコニコ超会議」等のボカロ音楽イベントの増加とそれに伴うリスナーの「一体感を感じたい」という欲求の増幅がある。私も春先に初めて「ニコニコ超会議」のボカロDJライブに参加したが、家で一人で曲を聴くのとは全く違う、DJ(クリエイター)とリスナーがインタラクティブに高め合っている空間がそこにはあった。そしてその相互性を更に強めてくれる強力な接着剤となるものこそがまさに「コール」なのである。リスナーはコールをすることで、単なる「観覧者」から「参加者」へと自分自身を昇華させ、DJや他のリスナーたちと一体感を得ることができるのだ。ニコニコ動画という狭い見識を飛び出して外部にも目を配る殊勝さが各ボカロPに備わっていたからこそこのような発展的な風潮が完成したのだろう。

 

しかし、あれだけ革新的だったハチ、wowaka的サウンドメイキングもいつしか廃れていったことを鑑みると、このコール文化がいつかは終焉を迎えることも可能性の範疇内だろう。だがしかし、それでいいのだ。ボカロはこれから先もスクラップ&ビルドを繰り返し、より洗練された文化を育んでいく。「終わった」「産廃」等の揶揄を背中に受けながらも前へ前へと進んでいく。

 

~後編へと続く~

 

nikoniko390831.hatenablog.com

ボーカロイドのこれまでとこれから 前編

はじめに。初音ミク10周年おめでとうございます。私は君の歌う歌をただただ聴くことしかできませんけど、これからもよろしく願い致します。

 

さて本題。こうして初音ミクが多くの人間に祝福されながらめでたく10周年を迎えたということで、本文では「ボーカロイドのこれまでとこれから」と題して、今までボカロが歩んできた歴史とそれを取り巻く環境、そしてそれらから導き出されるボカロの未来像について、超音楽素人の立場から少し考察してみようと思います。少しとは言いましたが、かなり長くなってしまいました。天井のシミを数えること以外何もすることがないくらい暇な時にでもお読みください。

 

1.これまで

 

第1章~初音ミク黎明期~

 

合成音声ライブラリ「初音ミク」は2007年8月31日に発売されるや否や、ニコニコ動画という伝播性と共有性を兼ね備えた最強の土壌の上でそのポテンシャルの高さを遺憾なく発揮し始めた。しかし最初期は単に初音ミクを「ヒトの声を喋る面白い楽器」として既存の曲を歌わせるというアプローチ以外が存在せず、もしここで立ち止まっていればきっとボカロは今頃ネットミームの墓場で朽ち果てていたことだろう。

 

しかしここでボカロにいち早く無限の可能性を見出し、それを大衆に知らしめたパイオニア的Pが登場する。それこそがOSTER Project(以下オスプロ)である。

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『恋するVOC@LOID』は、「初音ミクは楽器ではなく一人のアイドル歌手なんだ!」という、認識的パラダイムシフトを起こすには十分すぎるほどの誘発力があった。これよりしばらく初音ミクはKEI氏の描いたパッケージ絵のような「萌え」的性質を付与され、『私の時間』や『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』といった俗に言うAポップ系の楽曲が流行した。また、この時期は自己言及的な、つまり「初音ミクが自分自身の境遇を歌う」ような曲(上記の2曲や『えれくとりっく・えんじぇぅ』、『あなたの歌姫』など)が多かった。漠然としてはいるものの、ここでクリエイターやリスナーの、初音ミクについての認識がある程度統一されたような気がする。そう考えると初音ミクという宗教はこの時点で既に体系化されつつあったのだなと感心する。

 

初音ミクがアイドルとしての特徴を強めていく一方で、新たな音楽的潮流も生まれていた。その中心にいた人物がryo、kz(livetune)、bakerの3人だ。ryoは言わずもがなあの大名曲『メルト』の作者で、そのキャッチ―なメロディと甘く切ない歌詞で主に10代リスナーを中心にボカロ旋風を巻き起こした。kzは合成音声とテクノポップの親和性を世に知らしめたミクノポップの元祖的存在で、主に『Packaged』が有名だろう。bakerはテクノもロックも幅広くこなすマルチな才能を持つPなのだが、正直言って(というより私の音楽的知見のなさのせいで)「ここがいい!」とは明言しにくいのだが、彼のバラードナンバー『celluloid』を聴いてボカロPになった有名Pは数知れず。詳しくは音楽ナタリーのこの記事

natalie.mu

を読んで欲しい。上記3人がいかに他クリエイターへのインセンティブになったかを窺い知ることができるだろう。

 

こうしてオスプロが嚆矢となった「初音ミクオリジナル曲」ブームは上記のPを中心に、また、初音ミクの姉妹分である鏡音リン鏡音レンの参入によりさらに勢いを増すようになった。この頃主に活躍していたのは、限りなくアウトに近いアウトをやった結果動画を削除され、結果的に「機械にセクハラするのは合法か」という法哲学的な問題を見事に炙り出した初期ボカロ界の問題児デッドボールP、野生のNHKの異名を持つ心優しきトラックメイカーのトラボルタP、ポップ・レクイエムというニューウェイブ創始者たる小林オニキス、キャッチーなサビで多くのファンを獲得した黒うさP、音楽に物語性を付与する風潮の先駆けとなった悪ノPなど。誰もがメロディ・歌詞・使用ライブラリ等とにかく様々なアプローチでボカロを活かそうという信念のもと創作活動に励み、ボカロの音楽性の多様化は日を追うごとに進んでいった。そう、商業主義的文脈から完全に遊離していたこの時期のボカロは、完全に個々人のイマジネーションの発露として機能していたのである。暴走Pの『初音ミクの消失』なんかはまさに「ボカロにしかできないこと」を追求し、イマジネーションを爆発させた結果たどり着いた一つの境地だろう。

 

また、Dixie FlatlineやにおPのような黒人音楽、つまり、俗に言う「第一線からは逸れる音楽」を取り入れた楽曲を主に制作するPもこの頃から既に評価されていたという点にも留意しておきたい。クリエイター側が進歩するごとに、リスナー側もそれに呼応するように審美眼ならぬ審美耳を養っていったのである。

 

第2章~ボカロック、ミクノポップの隆盛~

 

初音ミクにロックを歌わせた動画はそれこそ初期から存在していた。かなりマイナーではあるが、田舎の学生バンド感を出しつつパンクロックを試みたクズ野郎Pの『世界に一人のクズ野郎』などがその好例だ。

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これらが「ボカロック」というジャンルの紐帯によって体系化されたのは08年中頃から09年初頭にかけてだろうか。何と言ってもアゴアニキの登場が大きい。

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ピノキオピーも彼の『ダブルラリアット』を「泥臭い歌詞のバンドサウンド」と高く評価し、自らもそれをきっかけにボカロを始めたという。この頃を境に初音ミクのアイドル性についての認識は単に「初音ミクを構成する一要素」くらいにまで大きく引き下がった気がする。こうして、一周回って半ばバイアス化し、初音ミクを安易な「萌え」という画一性の中に閉じ込めていた「アイドル」という性質が崩壊することによって、初音ミクは真に自由で無限の可能性を秘めた存在になったのである。

 

アゴアニキがヒットを飛ばすとそれに呼応するように数多のロッカーが台頭してきた。『天ノ弱』の164や『モザイクロール』のDECO*27や『星屑ユートピア』のotetsuなどの超大型Pもこの頃がデビュー時期である。このように、アイドル性への固執からの脱却により、ボカロックという新しい流れが完成したのである。

 

ちょうどこの頃、ボカロテクノ界隈も隆盛を極めていた。その渦中のど真ん中にいたのがやはり「変拍子の貴公子」の異名を取るTreow(逆衝動P)、ボカロハウス界の異端児、いや異常児ことZANIO(パイパンP)、そして世界的に有名なトランスミュージシャンという一面も持つ野生のプロこと鼻そうめんPだろう。Treowといえば何よりもまずデビュー曲の『L'azur』だ。

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どこか現実から乖離した歌詞、ガラス細工の如く精巧なメロディライン、無機質ゆえにかえって透明感が強まる初音ミクの歌唱・・・ここまでハイブロウな逸品が未だかつて存在しただろうか。何もかもが圧倒的な一曲である。まさにボカロテクノ界の革命と形容していいだろう。彼はこの後『Chaining Intention』でもスマッシュヒットを飛ばし、ボカロテクノ界の背負って立つPの一人になった。ZANIOは言ってしまえばオケだけメチャクチャ綺麗になったデッドボールPで、『ペヤングだばぁ』や『ボカラン詐欺』等の動画は、綺麗なメロとそれに反してあまりにもおふざけが過ぎるネタ歌詞の化学反応に驚愕したリスナーによる「オケだけよこせ」「歌詞wwwww」といったコメントで溢れかえった。Treowがハイブロウで高次元的な立ち位置にいるとするならば、ZANIOはその真逆であろう。だがしかし、だからこそ彼が推され続けているのだと私は思う。敷居が低いほうが入り口としては最適である。鼻そうめんPはHiroyuki ODAという世界的に名の知れたトランス界の雄で、ボカロが完全にアマチュアの独壇場だった当時からしてみればこれはパラダイムシフト的な出来事だったのだ。ほぼ歌詞の存在しないガチガチのトランスミュージックから80'sを思わせるディスコサウンドまでテクノ系統なら何でも来いのオールラウンダーで、オマケにイラストも描けるマルチクリエイターである。個人的には『YOUTHFUL DAYS' GRAFFITI』が頭一つ抜けている気がする。

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この3人以外でも、後にDenkitribeとして大成するよよPや、ベースを巧みに操るベースラインの魔術師こと鮭Pなど、ボカロ界に大きな爪痕を残していったPが数多登場した。

 

こうしてロックとテクノが同時に進化し、クリエイター人口が増えることでその品質もより向上していった。また、巡音ルカがくっぽいどめぐっぽいど等のライブラリの増加の影響も受け、遂にボーカロイドはインターネットを飛び出し、大々的なボカロムーブメントが巻き起こった。

 

第3章~ボカロブーム前半~

 

一般的にボカロブームが起きたとされるのは(諸説あるが)09年末あたりとされる。何を差し置いてもハチとwowakaがこのブーム初期の起爆剤となったというのは否定しようのない事実である。それと同時に、良くも悪くも「ボカロっぽい」曲というものがほぼ体系化されてしまったのもこの時期である。ハチの楽曲の特徴といえば祭囃子の如き騒々しさと狂気的なリリックで、wowakaの場合は超高速のBPMと超高音のボカロ調教である。ユビキタス社会が完全に確立し、どの家庭にもネット環境が普及するようになった当時のリスナーの主な年齢層といえば、心身ともに発展途上で多感な中高生が殆どで、彼らにとって上記の4要素はまさに脳髄ドストライクの麻薬だったのである。かくいう私もその一人である。意味はよく分からんけどとりあえず速くてカッチョイイなら最高じゃないか、と思ったわけである。ロックバンドのキュウソネコカミの『ビビった』

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の中に「意味なんか要らんそれでオッケー、結局音楽はBGM」という歌詞があるが、まさにこの頃のボカロはそれを地で行く感じであった。「ハチやwowakaは浅薄な音作りしかできない」と言っているのでは決してない。むしろこの2人ほどボカロに対して真摯に取り組んだPは他にあんまりいないのではないかと思う。そのあたりはこれらの記事

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を読めば嫌というほどに伝わってくるだろう。問題なのは、彼らの曲風を模倣するばかりでそれ以上の試みをすることを放棄してしまったこの頃のボカロシーンの風潮そのものである。この頃になるとボカロにもマネタイズの波が押し寄せ、ボカロを手っ取り早く有名になるための足蹴くらいにしか考えてないようなクリエイターもちらほら見受けられるようになった。別に商業主義に走ること自体を悪と言っているのではなく、よりマスに受け入れられるためにと自分の真にやりたいことを捻じ曲げるようなスタンスに対して懐疑的なだけである(実際、この時期に入ってから途端に作曲の方向性が変化したPは多かった)。商業主義の下では決して解放できないイマジネーションの発露としてボカロには大きな価値があったはずなのに、これでは全くもって本末転倒なのではないか。しかしそんな疑問も掻き消えるくらいの勢いでこのボカロブームはこの後も際限なく広がっていった。今思えば、そういった漠然とした疑問と、この画一化の果てにはいつかボカロ自体の終焉が来るかもしれないという潜在的な不安こそがこのブームをさらに推進していったのではないかと推測する。

 

しかしそうは言ってもボカロの多様化が完全に停止したわけではない。『Just a game』あたりがいい例だろう。

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takamattはオタク蔓延るニコニコ動画で、オタクの好むジャンルとは対極的な位置付けにあったレゲエを見事輸入することに成功したのだ。また、当時のボカロシーンにも流行に囚われることなく真に良いものを選択的に聴いていた主体的なリスナーの存在がいたことの証左として、『glow』

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のkeenoや『またあした』

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のふわりPのヒットも挙げておこう。聴けば分かると思うが、彼らは根っからのバラード畑の人間である。当時のBPM至上主義的なボカロシーンの風潮を鑑みると彼らのヒットは実にイレギュラーなものである。しかし、これはつまり、そういったイレギュラーをも快く受け入れられるような懐の深さを持った層が少なからず存在していたということである。

 

第4章~ボカロブーム後半~

 

09年末~13年中頃くらいまで持続した全国的ボカロブームの後半期を支えた代表的Pとしてじん(自然の敵P)、kemu、トーマが、また、代表的な曲として『千本桜』が挙げられる。

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まぁまずは何と言っても『千本桜』の大流行。まさにお手本と呼ぶに相応しい王道的な曲進行(ABサビABサビB転調サビ)で、なおかつ当時のボカロシーンで求められていた要件が全て完璧に揃っていた。ボカロ文化はこれ以前とこれ以後とで明確に区切ることができるだろう。それまではあくまでオタク界隈という閉じた世界の中で完結していたボカロ文化が大きく外へと羽ばたいた瞬間だったのだ。『千本桜』で遂にブームは爆発期を迎え、猫も杓子もボカロ、ボカロのボカロ大旋風が巻き起こった。ここで台頭してきたのが上記の3人である。じん(自然の敵P)は10年代最大のヒットメイカーで、ハチ、wowaka的な音作りに、楽曲に物語性を付与する悪ノP的手法を混ぜ合わせた新旧ボカロ文化のいいとこ取りなスタンスで見事大ヒット、彼の打ち立てた「カゲロウプロジェクト」はメジャーレーベルで音源化され、さらに小説化、アニメ化までされる超ビッグコンテンツに成長した。kemuはじんの少し後に頭角を現してきたPで、高速BPMシンセサイザーロックを融合させ、「kemuブランド」を確立した。彼もまた新(高速BPM)旧(シンセロック)をうまく組み合わせる天才だった。トーマはまさにハチ、wowakaの影響をモロに受けたPで、ハチ以上に難解な歌詞、wowaka以上に高速なBPMを駆使する、まさに時代が生んだ寵児である。一言でいえば凶悪。そんなダークな魅力が中高生のセンシティブな感性と共鳴し、見事ブレイクと相成った。

 

この3人に共通する点は、既存の流行+αで革新性を産み出した点である。じんなら物語性の付与、kemuならシンセロックへの回帰、トーマなら既存性の限界値までの研鑽がそれぞれα部分に該当する。いずれもボカロシーンにおけるハチ、wowaka的な音楽性が既にコモディティ化している現状を目ざとく察知していたことが窺える。「ボカロブーム」という大きな物語として巨視的に見た際には誰も彼もが同じような曲ばかりを作っているという印象しか受けないかもしれないが、このように歴史を追いながら細かく見ていくと、歴代のヒットメイカーたちにはそれぞれヒットするだけの個性と、それに至るための努力や試行錯誤があったことが見て取れよう。

 

しかし、ヒットを外部から俯瞰している人々や「ブームだから」という理由のみでボカロを聴いていた層にとって、そんなことは些事も些事、どうでもよいことだったのである。じんの「カゲプロ」が完結し、kemuが『敗北の少年』で作曲活動の実質的中止を宣言し、トーマが知らないうちにフェードアウトした13年中頃よりボカロブームは徐々に終息の道を辿っていった。

 

~中編へ続く~

 

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部屋の中に変なものがいます。【文章練習】

部屋の中に変なものがいます。

(それ)は、特に私が夜に本を読んだり携帯を見ていたりしているといます。

ですが、夜だけいるというわけではなく、たまに昼にもいます。

 

私は(それ)を捕まえようとしますが、夜は冷蔵庫が怖いです。

(それ)は私が夜は冷蔵庫が怖いのを知っていて、私が捕まえようとすると冷蔵庫の中に隠れます。私は冷蔵庫が怖くて何もすることができません。

 

朝になると(それ)は冷蔵庫の中にいません。一応本棚やクローゼットの中も探してみましたが、どこにもいません。多分、床の中にいるんだと思います。

 

また、夜は白いものが窓に張り付きますよね?

私は白いものを見ると安心した気分になれるのですが、(それ)が出てくるようになってからは、(それ)が白いものを右の方からバリバリと剥がして、どこかに持っていきます。私はすごくつらい気持ちになって「やめて下さい」と言うのですが、やめてくれません。

 

つらくて悲しいので、本棚と段ボールの隙間の中に隠れて朝まで待つのですが、(それ)は私が本棚と段ボールの隙間にいるのをベッドの上からじっと見ています。(それ)がよそ見をしている間に逃げようとしますが、(それ)のよそ見はよそ見ではなくてよそ見の振りなので、すぐに見つかってしまいます。

 

この前は、昼にいました。

私が机の上を掃除しようとしたら、机の上に石を置いて邪魔してくるので、私は掃除ができません。私がベッドに寝転んで本を読もうとしたら「あー、あー」と変な声を出してきて、私は本に集中できなくなりました。これは幻聴ではありません。

 

夜になると右側の壁からバンバンと叩くような音がします。私も仕返ししようと思ってバンバン叩き返すのですが、叩き返した日は叩き返さない日よりも(それ)がベッドから見つめてくる時間が長くなるので、叩き返すことがあまりできません。ですが、叩き返さないといつまでもバンバン叩いてくるので、仕方なく叩き返しています。本当はこんな事したくありません。

 

友人にもこの話をしたのですが、「そんなものは見たことがない」といって嘘をついてきます。きっと友人も(それ)を知っていて、私だけが知らないのだと思います。友人は、知っているので毎日楽しく暮らせるのだと思います。私も早く知りたいです。私だけが知らないのは嫌です。

 

早くみんなと同じように楽しく暮らしたいです、そのためにも(それ)が何なのか知らなければなりません。毎日が不安で怖くてたまりません。本当に恐ろしいんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

統合失調症になったらもっと上手くトチ狂った文章が書けるようになるんですかね(笑)

自転車は最強

自転車を買った。高円寺のサイクリングショップが軒並み閉業していたので早稲田まで足を運ぶ羽目になった。早稲田はクソ。

 

金がないのでギアチェンジ不能な1万4千円のカゴ付きクソチャリに甘んじた。もちろん保険は付けない。金がないので。

 

私はその場で自転車に跨り、そのまま新宿へと繰り出した。春先に何時間もかけて味わってきた感慨がわずか数分のうちに過ぎ去っていく。

 

なんと速いのだろう。私は、私はこんな短い距離ごときで疲弊していたのか。自転車はこれほどまでに便利な道具だったか。

 

容赦なく降り注ぐ日射しに辟易しながらダラダラ歩く人混みの間を颯爽と通り過ぎながら、自転車を持っていない人間は愚かだなぁと優越感に浸っていると、ふいに絶望が私の眼前に現れた。

 

デブだ。

 

デブが、デブが道を塞いでいる。

 

道幅の7割を自らの贅肉で封鎖している。現代社会が生み出した魔物だ。

 

しかも、

 

イヤホンをしている。

 

イヤホンだ。

 

イヤホンデブである。

 

外界の情報を一切遮断し己が殻の中に永久に閉じこもりながらも周囲の人間に迷惑をかけることはかかさない百害あって一利なしの史上最恐の生物兵器、イヤホンデブである。

 

オイオイオイ死ねよコイツ。

 

俺様は自転車ユーザーだからお前より偉いんだぞ、どけよ。

 

しかし私は賢いフレンズである。今ここでこの不愉快な肉塊を轢殺したとして、私に不利益が生じるのは自明である。私は考えた。考えて、考え抜いた末に、

 

―――自転車を降りた。

 

自転車が初めて人類に敗北した瞬間だった。しかも、こんなデブに。

 

デブに敗北した悲しみに暮れながらも私は自転車を漕ぎ続けた。メロスの如くひたすら走り続けた。いやメロス自転車使ってないけど。

 

新宿から自宅までをつなぐ青梅街道は延々と広くてまっすぐなので自転車ユーザーにとってはこれ以上ありがたいものはない。30度の炎天下の中、買い物かごを抱えながらイライラした顔で歩くババァに心の中で「死ねバァァァァァカ」と中指を立てながらシルベスター・健を飛ばした。シルベスター・健というのは私の自転車の名前で、私が今適当に付けた。由来はもちろんシルベスタースタローンと高倉健である。

 

家に着いた。すげぇ、こんなに早く着いちゃうのかよ・・・やべぇ・・・

 

私は自転車を手に入れ遂に無敵になってしまった。

 

私に勝てる人間などもはやこの世にはいない。

 

ケンカならいつでも買ってやるから死にてぇ奴は高円寺まで来な。

 

2秒でボコしてやるよ。

帰郷

金曜日、実家に帰った。文化祭に参加するという口実だったが、本当は友人やら後輩に会いたかっただけである。このように歳を食えば食うほど人は本心を韜晦したくなる。動機がなければ我々は何もできない。鬱。

 

新宿発飯田行きのバスを降りると、土臭い田畑の匂いが私の鼻腔をスーッと通り抜けた。高校時代の私は受験勉強で忙しいことを言い訳に堕落しきった生活を送っており、従って免許など取得しようとすら思っておらず、15キロ離れた自宅に帰る術がなかったので、仕方なく小学生時代からの幼馴染に送迎を頼んだ。

 

「よう久しぶり!」

 

3か月ぶりの邂逅を果たした彼の髪は鮮やかなピンクに染まりきっていた。

 

知っているぞ、こういう人間は友人を乗せた車の中でとりあえずEDMを流す。夜の国道153号線を我が物顔で疾走する。親の車で。

 

すると案の定彼は「なんか流すわ」とおもむろに携帯を車のスピーカーに接続しはじめた。おいやめろ、お前、いいのか、そんなテンプレみたいな生き方で。おい、やめろ、おい!

 

午前8時に目覚めた。よくわからんEDMがまだ頭の中で鳴り響いている。死んでほしい。

 

9時になるとピンク髪の幼馴染が家の前まで迎えに来た。この日はEDMの代わりに三代目J SOUL BROTHERSでんぱ組.incが無限に流れ続けた。俺はもうお前がわかんねぇよ…

 

放浪ドライブの末に変な山に着いたので写真を貼っておこうと思う。美しい私たちの町です。f:id:nikoniko390831:20170628092547j:image

 

時刻が午後1時を回ったのでとりあえず母校の近くの高校の文化祭に乗り込んだ。ここは私の母校より偏差値が10以上高い進学校様なので部外者の我々には人権がなかった。

 

人権もなければ友達もいないので校内をグルリと一周回っただけでなんか飽きてしまった。すれ違う人間全員が一流大学に行けるポテンシャルを秘めているんだろうなと思うと身震いがした。やはり私は上を見て己を奮い立たせるというよりかは下を見て安寧に胡座をかく方が性に合うようだ。

 

さていよいよ我が母校飯田風越高校に辿り着いた。相変わらず配慮のはの字もない急勾配の通学路に精神を摩耗させられながらも私は頑張って歩いた。すごい偉い。

 

校門をくぐり抜けるやいなや見知った顔があちらこちらに散見され、不意にノスタルジーが襲いかかってきた。

 

懐かしい気持ちに苛まれながら校内を周回していると、「あっ!因果じゃん!」「因果先輩チィーッス!」といった具合に仲の良かった同輩後輩が話しかけてきた。岡本ではなく因果と呼ばれるあたりにインターネット人格としての「因果」の方が現実人格の「岡本」よりもはるかに訴求力が強いことがうかがえる。負けんな岡本!頑張れ岡本!

 

そんなこんなで色々な後輩に現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話や現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話などを中心に、私が卒業した後の学校の様子について様々な話をしてもらった。

 

そうか、我々がいなくなった後も、高校生活というもの自体は連綿と続いていたのか。そしてその潮流の外へと疎外された我々はただひたすら「そうかそうか」と頷くことしかできないのだな。「もう戻れない」という実感を帯びてノスタルジーはより鮮明さを増した。

 

いやまぁゲロの話しかされてないんだけどさぁ!

 

翌日(日曜日)の早朝、狙いすましたかのように長野県南部を直撃する地震が起きた。天変地異さえもが私を憎んでいるのか、私が何をしたというのか。炎上の代償がこれか。殺すぞ。トラフには何とか勝ちたい。

 

文化祭2日目は生憎の曇天だった。

 

3ヶ月ぶりに担任に遭遇した。相変わらず理学部2年みたいな風貌をしていてとても英語教師とは思えない。首都大に落ちた報告を電話で伝えたら「ざまぁみろ」と言われた事件以降連絡を取り合っていなかったが、まぁ元気そうだった。なんか順風満帆っぽくて腹が立ったのでクレープを奢らせた。去年よりホイップが多めだった。

 

その後は部活の後輩のギター演奏をまるで保護者のような眼差しで見つめていた。多分後輩の皆さんは「何見てんのコイツキモ…」といった不快感を覚えていたことだろう。なるほどこういう世代間の認識の齟齬が老害OBを生み出していくんだろうなぁと思った。

 

全ての演目が終わり、拍手喝采の中で文化祭2日目が終わりを告げ、「部外者」の我々は早々に追い出された。

 

校門を出た際は10人ほどの集団だったが、駅に向かうにつれ一人、また一人と人数は減っていった。「飯田風越高校」という紐帯が解けた我々は、もはやこれ以上一緒にいることができないんだろう。高円寺駅から暗い夜道を一人歩きながら、そんなことを考えていた。

 

さて、自校の文化祭に初めて「客」として参加してみたわけだが、主体的に、「開催者」として参加するそれに比べると、やはり物足りなさを感じた(すごい楽しかったけどね!)。

 

言ってしまえば、クソダサいクラスTシャツを着たまま校内を闊歩する自由がなければ、誰もいない部室に勝手に入って寝られる自由がなければ、「ここから先展示物なし」の張り紙を無視する自由がなければ、文化祭も、地域で毎年開催される納涼祭と大して変わらない。

 

二度と戻れない高校時代を羨望する気持ちもあるが、色々欠落しているとはいえ大学生活は毎日楽しいので、もう後悔はない。多分。

 

ただ、そうはいっても高校と大学ではやはり楽しさの趣向が全く違うので、そういう点においてはやっぱり高校っていいなぁと思うことは多々ある。

 

適度に過去に引きずられつつも前を向いて生きていきたいと思った。

 

とりあえずまずは部屋を片付けて、それからアコギを買おう。