読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

美忘録

羅列です

趣味の啓蒙

我々は、娯楽に対峙する際、「自分のみで享受する快楽」とともに、それを「誰かと共有する快楽」をも同時に得ようとする傲慢な生き物である。

 

「娯楽など自分一人で楽しむもんだろうが!」という反論はもっともではあるのだが、誰かと共有することで初めて得られるパースペクティブというものも確かに存在すると俺は思うのだ。

 

それに、この前書いた記事でも述べたように、この行為もまた「自分の趣向を誰かにも認めてもらう」という点において自己承認欲求を満たすための行為と言えるから、我々はそもそもこの欲求から逃れることが難しいのだ。

 

こうして我々は、自分が面白いと思った何かを、布教ーー即ち「啓蒙」するのに躍起になるのである。

 

だがしかしBUTけどけれどTHOUGHこれが本ッッッッ当に成功率が低い。誰もが経験したことがあるだろう、

 

僕「これいいよ!」

相手「アッソ」

僕「悲しいなぁ…」

 

というやり取りを…

 

といった具合にほとんどの「オススメ」は無に収斂するのだ。

 

そう、あなたの真摯な想いは九分九厘虚空を空転しそして儚く消え去るのだ。

 

このような事態に直面すると「なんだてめぇぶち殺されてぇかおとなしく見ろや(or聴けやor読めや)カス」という怒り悲しみに打ちのめされ相手を中国拳法でボコボコにしたくなることもあるだろう。

 

しかし逆の立場に立ってみて欲しい。

 

興味もないものをいきなりオススメされて誰がそれに触れたいと思うだろうか。

 

これらの「無に収斂するタイプの"オススメ"」からは、圧倒的に「何か」が欠落している。

 

ここでビデオ屋のDVDの見出しを思い出してみよう。

 

大抵は簡潔な文章で受け売りが載っている。「凶暴な純愛」とか「天国じゃ、みんなが海の話をするんだぜ」とか、記憶に残っているものもそれなりにあるんじゃないだろうか。

 

そう、「記憶に残る」のだ。

 

「記憶に残る」というのはつまり、「相手の心に深く爪痕を付ける」ことに他ならない。

 

俺はこれが、「何か」を埋めるための最善の策であり、また、趣味の啓蒙において一番肝要な点なのではないかと思っている。

 

実質的な内容への言及よりも、その作品の輪郭を捉えた的確な一言の方が、相手にそれに触れたいと思わせられるポテンシャルを秘めていると思うのだ。

 

我々は普段から利己主義的になりたい衝動を社会的・倫理的責任感というフィルターによってセーブされている。

 

だからこそ、趣味においてのみくらいは自分の好きなものを自分の好きなように見て聴いて読みたいわけである。

 

誰かにオススメする行為というのはそういう「自由空間」への領空侵犯なのである。

 

相手にそれを受け入れる義務など全くないし、それについて話を聞く義務も同様にない。

 

それなのに何度も何度も執拗にオススメ攻撃をされたらそれに対する防御力もだんだん高まるのも当たり前である。

 

だからこそ、簡潔に、かつ力強く、一発で相手の心を捉えなければならない。

 

これができないのなら、啓蒙は、自分がオススメしたいものに対しての相手の興味をむしろ削ぐという真逆の結果を生み出すだろう。

 

そうだ、考えるのだ…

 

自分なりに、相手を一発で納得させられる最高の一言を…

 

ちなみに僕はあなた方にカードキャプターさくらをオススメします。

 

以下の画像を見て少しでも可愛いと思ったら見ようね(説明放棄)(ここまでの話は全てカードキャプターさくらの面白さを引き出すための序詞に過ぎない)(さくらちゃん今日も可愛いですわぁ〜♡)。

f:id:nikoniko390831:20170203003231j:image