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美忘録

羅列です

哲学に対する俺の意識

俺は考えることが好きである。細かく言うと、とりあえず漠然とした対象をとって適当に理論化したり、Twitterで流れてきた誰かの言説を読んで自分なりに批評を加えたりといった「遊び」が好きなのである。本当に、ただそれだけ。

 

「哲学」とだけ聞くと普通なら何か高尚で近寄りがたいカタブツのような印象を受けるだろうが、俺はこれをそういう「遊び」の一環、或いは延長くらいにしか考えていない。(決して軽視しているわけではない)

 

俺の哲学への興味は、そういった内在的な知への探究心から始まったのだろう。

 

そういう点では、俺は、ソクラテスだとかニーチェだとかの既に体系化された思想に触れて哲学に興味を持つ、といった外在性への興味に起因した哲学へのアプローチをする人たちとは正反対というわけである。

 

まぁでもだからといって「過去の思想家たちの考え方なんか知らん!」とは決してならないし、普通に思想史にも興味はある。あくまでスタート地点が違ったよというだけである。

 

それと、俺は論理学にも興味がある。

 

というのも、俺は「考えること」について、ある仮説を思いついたからである。

 

それをツイートとして成文化させたものを以下に貼る。

 

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変な言い回しが多い高二病であることには目を瞑るとして、要は「言論なんて突き詰めればその本人の個人的な欲望だよね」ということである。

 

今のところ、これのどこにも矛盾は発見していないが、それでも、俺はこれを詭弁だと思っている。

 

なぜだかは分からない。しかし、もう少し、いやもっと思索を深めていけば、より自分が納得できる仮説に至れる気がするのだ。

 

より多くの英単語が頭に入っている方がより多くの英文に対応できるのと同じである。知識もまた、深ければ深いほど、より柔軟な考え方ができると思うのだ。

 

となるとやはり俺はそういうベクトルでの知性を得られるような学科に入るべきだろうと考えた。

 

以上のことから俺は「哲学科」こそが俺に一番合うのではないのかと思い至り、そして哲学科のある大学ーーー上智大学を受験したわけである。(中央哲も受けたんだけどね)

 

こうして確固たる意志のもとで出願をしたわけなので、当然他の学部との併願などしなかったわけである。

 

俺自身学歴厨っぽいところが少なからずあるがゆえ、確かにもっと偏差値の高い他学部は魅力的ではあったが、それでも俺はここを、哲学科を、自分の意思で選んだ。

 

だからこそ受かった時の喜びがあそこまで大きかったんだろうなぁと思う。これは決して妥協ではないのだから。

 

周囲には「哲学科とか就職弱いだろwww」みたいな言い方をされるが俺自身が満足しているから決して悔しくはない。ほんとだよ!ほんと!いや全然悔しくねーし!うるせぇバーカ死ね!!

 

ブログのタイトルから話が逸脱してしまったが、つまりは「俺は考えることが好きだったから然るべくして哲学に興味を持った」というただそれだけのことである。

 

パスカル曰く人間は考える葦なのだから、せっかく生きるなら学ばにゃソンソン!(申し訳程度の思想史知識)