美忘録

羅列です

帰郷

金曜日、実家に帰った。文化祭に参加するという口実だったが、本当は友人やら後輩に会いたかっただけである。このように歳を食えば食うほど人は本心を韜晦したくなる。動機がなければ我々は何もできない。鬱。

 

新宿発飯田行きのバスを降りると、土臭い田畑の匂いが私の鼻腔をスーッと通り抜けた。高校時代の私は受験勉強で忙しいことを言い訳に堕落しきった生活を送っており、従って免許など取得しようとすら思っておらず、15キロ離れた自宅に帰る術がなかったので、仕方なく小学生時代からの幼馴染に送迎を頼んだ。

 

「よう久しぶり!」

 

3か月ぶりの邂逅を果たした彼の髪は鮮やかなピンクに染まりきっていた。

 

知っているぞ、こういう人間は友人を乗せた車の中でとりあえずEDMを流す。夜の国道153号線を我が物顔で疾走する。親の車で。

 

すると案の定彼は「なんか流すわ」とおもむろに携帯を車のスピーカーに接続しはじめた。おいやめろ、お前、いいのか、そんなテンプレみたいな生き方で。おい、やめろ、おい!

 

午前8時に目覚めた。よくわからんEDMがまだ頭の中で鳴り響いている。死んでほしい。

 

9時になるとピンク髪の幼馴染が家の前まで迎えに来た。この日はEDMの代わりに三代目J SOUL BROTHERSでんぱ組.incが無限に流れ続けた。俺はもうお前がわかんねぇよ…

 

放浪ドライブの末に変な山に着いたので写真を貼っておこうと思う。美しい私たちの町です。f:id:nikoniko390831:20170628092547j:image

 

時刻が午後1時を回ったのでとりあえず母校の近くの高校の文化祭に乗り込んだ。ここは私の母校より偏差値が10以上高い進学校様なので部外者の我々には人権がなかった。

 

人権もなければ友達もいないので校内をグルリと一周回っただけでなんか飽きてしまった。すれ違う人間全員が一流大学に行けるポテンシャルを秘めているんだろうなと思うと身震いがした。やはり私は上を見て己を奮い立たせるというよりかは下を見て安寧に胡座をかく方が性に合うようだ。

 

さていよいよ我が母校飯田風越高校に辿り着いた。相変わらず配慮のはの字もない急勾配の通学路に精神を摩耗させられながらも私は頑張って歩いた。すごい偉い。

 

校門をくぐり抜けるやいなや見知った顔があちらこちらに散見され、不意にノスタルジーが襲いかかってきた。

 

懐かしい気持ちに苛まれながら校内を周回していると、「あっ!因果じゃん!」「因果先輩チィーッス!」といった具合に仲の良かった同輩後輩が話しかけてきた。岡本ではなく因果と呼ばれるあたりにインターネット人格としての「因果」の方が現実人格の「岡本」よりもはるかに訴求力が強いことがうかがえる。負けんな岡本!頑張れ岡本!

 

そんなこんなで色々な後輩に現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話や現生徒会長が前夜祭でゲロを吐いた話などを中心に、私が卒業した後の学校の様子について様々な話をしてもらった。

 

そうか、我々がいなくなった後も、高校生活というもの自体は連綿と続いていたのか。そしてその潮流の外へと疎外された我々はただひたすら「そうかそうか」と頷くことしかできないのだな。「もう戻れない」という実感を帯びてノスタルジーはより鮮明さを増した。

 

いやまぁゲロの話しかされてないんだけどさぁ!

 

翌日(日曜日)の早朝、狙いすましたかのように長野県南部を直撃する地震が起きた。天変地異さえもが私を憎んでいるのか、私が何をしたというのか。炎上の代償がこれか。殺すぞ。トラフには何とか勝ちたい。

 

文化祭2日目は生憎の曇天だった。

 

3ヶ月ぶりに担任に遭遇した。相変わらず理学部2年みたいな風貌をしていてとても英語教師とは思えない。首都大に落ちた報告を電話で伝えたら「ざまぁみろ」と言われた事件以降連絡を取り合っていなかったが、まぁ元気そうだった。なんか順風満帆っぽくて腹が立ったのでクレープを奢らせた。去年よりホイップが多めだった。

 

その後は部活の後輩のギター演奏をまるで保護者のような眼差しで見つめていた。多分後輩の皆さんは「何見てんのコイツキモ…」といった不快感を覚えていたことだろう。なるほどこういう世代間の認識の齟齬が老害OBを生み出していくんだろうなぁと思った。

 

全ての演目が終わり、拍手喝采の中で文化祭2日目が終わりを告げ、「部外者」の我々は早々に追い出された。

 

校門を出た際は10人ほどの集団だったが、駅に向かうにつれ一人、また一人と人数は減っていった。「飯田風越高校」という紐帯が解けた我々は、もはやこれ以上一緒にいることができないんだろう。高円寺駅から暗い夜道を一人歩きながら、そんなことを考えていた。

 

さて、自校の文化祭に初めて「客」として参加してみたわけだが、主体的に、「開催者」として参加するそれに比べると、やはり物足りなさを感じた(すごい楽しかったけどね!)。

 

言ってしまえば、クソダサいクラスTシャツを着たまま校内を闊歩する自由がなければ、誰もいない部室に勝手に入って寝られる自由がなければ、「ここから先展示物なし」の張り紙を無視する自由がなければ、文化祭も、地域で毎年開催される納涼祭と大して変わらない。

 

二度と戻れない高校時代を羨望する気持ちもあるが、色々欠落しているとはいえ大学生活は毎日楽しいので、もう後悔はない。多分。

 

ただ、そうはいっても高校と大学ではやはり楽しさの趣向が全く違うので、そういう点においてはやっぱり高校っていいなぁと思うことは多々ある。

 

適度に過去に引きずられつつも前を向いて生きていきたいと思った。

 

とりあえずまずは部屋を片付けて、それからアコギを買おう。