美忘録

羅列です

VOCALOIDリスナーが本気でオススメするアルバムベスト25

一口にボカロ趣味とはいっても、そこには様々な形態の沼がある。マジカルミライ等の公式ライブイベント沼、Project DIVA沼、エロ同人沼、クラブイベント沼、初音ミク存在論沼など挙げれば枚挙に暇がない。「そんな沼知らん」って?うん俺も。

 

そんな中で割と深い(と私が勝手に思っている)沼が「アルバム収集沼」である。私は一昨年あたりにうっかりこの沼に落ちたのだが、もがけばもがくほど足は底なしの泥の中へと引きずり込まれ、遂に所持アルバムは500枚を数えた。総額に関しては・・・聞くな。

 

しかしアルバム収集に関しては以下のような意見も多い。「え?ボカロなんてニコニコで無料で聴けるじゃん」と。いやはやごもっともである。だがしかし敬虔な、いや、狂信的なボカロ教徒の皆様なら理解してくださると思うが、ニコニコの音質にはどうしても限界があるのだ。せっかくの良曲も、高音域で音が割れてしまったり、ベースの音が均一化してしまったりしていてはその魅力をフルに楽しむことはできない。

 

そこで我々はアルバムに手をかけるわけである。アルバムを買えば、高音質で曲が聴けるうえ、アルバム限定収録曲が楽しめることもある。さらにクリエイター側に収益金が入ることがボカロPへのインセンティブにもなる。まさにいいことづくめ。みんなアルバムを買ってエウダイモニアに至ろう。

 

さらに「アルバム」という媒体は時に曲単体を聴くだけでは知覚しえない価値をも創出することがある。『ウミユリ海底譚』等で有名なナブナは、2ndアルバムである『花と水飴、最終列車。』について、「商業用として販促しなければいけない以上、(ニコニコでの)再生数が多い曲をどうしても入れざるを得なかった」として、このアルバムの不完全性を示唆した。その反省を活かしたという3rdアルバム『月を歩いている』では、商業主義やポピュリズムといった不純物が完全に排されており、全体として統一感のある珠玉の一枚に仕上がっていた。個々の曲を聴くだけでは感じられないこの「統一感」こそがまさにアルバムという媒体のみが持ちうる独立した価値なのではないかと私は考える。アルバムは単に曲を詰め込んだだけの媒体ではない。そこには必ずクリエイターの魂が宿る。それを楽しむこともアルバム収集の醍醐味の一つなのである。

 

前置きが長くなってしまったが、つまりアルバム収集はドチャクソ楽しいし価値があるということである。

 

そこで今回は私が自信を持ってオススメするボカロアルバムをランキング形式で紹介しようと思う。それぞれに聴いてみての雑感なども付記するので、購入するアルバム選びの参考にしていただければ幸いである。読みやすさ重視で書いたのであんまり身構えなくて大丈夫だ。・・・と思う。

 

それでは早速25位から~~~カウント~~~、ダウン!!

 

25位『UFHs -luxury-』

「rain stops, good-bye」で大ヒットを飛ばしたにおPの1stアルバム。実を言えばこのアルバムは前半部がボカロ歌唱版で後半部が歌い手歌唱版なので厳密に言えば純粋なボカロアルバムではないのだが、それでもボカロアルバムとしてだけ見ても非常に完成度が高いためランクインさせた。

このアルバム全体に通底するのは「優しさ」「温かさ」。よくボカロには「感情が籠ってない」といった具合に合成音声技術の拙さに対しての揶揄が飛ばされる。しかし彼はそういった意見を真摯に受け止め、ではどうすれば感情を生み出すことができるのかを、技術面からはもちろんのこと、歌詞やメロディーラインの面からも研究を重ね、見事このディスアドバンテージを乗り越えた。掠れ掠れに絞り出すビブラート、実に人間らしい機微を持った歌詞、角のない柔和なメロディ。これは本当にボカロなのか?と驚嘆せざるを得ないほど「優しく」、そして「温かい」一枚。筆者オススメの一曲は「ナトリウム」。ラブソングというのは往々にして恋愛の綺麗な部分ばかりを取り上げてしまいがちだが、この曲はそういった部分以外にもきちんと目を向けている。だからこそ、この曲はどんな凡百のラブソングより我々の感覚に「近い」のだ。

 

24位『meteor』

「メテオ」で一躍名を馳せたJOHNの1stアルバム。オススメしておいてこんなことを言うのは非常に心苦しいのだが、このアルバム、そもそも流通している枚数が少ないうえに頒布が終了しており現在入手困難となっている。悲しい。中古で見かけたら即座に購入しましょう。

私はバズワードは極力使用したくない主義なのだが、それでも言わせてもらおう。このアルバムは大変「エモい」。エモいの定義がそもそも曖昧なので雰囲気が把捉できないだろうから補足しておこう。このアルバムを聴くと、幼少時に見上げた西の夕焼けとか6時の一番星とか真夜中の流星群とかが頭の中を逡巡する。彼の音楽はもう戻れないあの日あの頃を夢想している。しかしそこに厭味ったらしいニヒリズムはなく、ただひたすらに純粋で美しいノスタルジーへの羨望だけがある。オススメは「スローイン´ドッグシューズ」。この曲こそがこのアルバムを購入しようと決意した理由と言っても過言ではない。「戻らない時間のシーソー 流れる雲の動きに 並んで靴を投げてみたら ふたりは風になれた」なんてエモーショナル大爆発なリリックがどうやったら書けるのか小一時間問い詰めたいくらいである。

 

23位『to-kyo』

筑波大卒&図書館司書&プロの作曲家というドチャクソイケメンな肩書きを持つエハミックことehamikuの1stアルバム。耳が肥えた音楽ファンならきっと分かると思うが、彼の曲はどれも生楽器によって演奏されている。しかもそのサウンドは彼の豊穣な音楽知識・経験に裏打ちされており、素人耳に聴いても唸るほどである。だがそんなハイブロウなサウンドとは対照的に、彼のボカロ調教はかなり素朴で無機質だ。しかしこの倒錯した対照性こそが我々を未知の音楽体験へと誘う。一度聴いてしまえばもう戻れない、そんな魔性を秘めているのが彼の音楽であり、そこまで計算したうえで音楽を作っているのがehamikuというボカロPなのだ。オススメは「スターライト・トールボーイ」。統一と散逸の狭間をユラユラと揺れ動くような危うい歌詞の合間を鏡音リン・レンのぶっきらぼうな調教が突き抜けていくエネルギッシュな一曲だ。

 

22位『MIKUHOP EP』

ボカロPの中でも屈指のキワモノが集ったサウンドメイカー集団「Stripeless」によるコンピEP。「BandCamp」というサイトで実質無料(もちろん合法)でダウンロードできるので今すぐに聴いてくれ。貢ぐのはそれからでも遅くないぞ!ボカロにヒップホップを歌わせることの難しさはリスナーである我々にとってはなかなか想像がつかないが、その辺については音楽だいすきクラブ氏が以下のブログで超丁寧&超簡潔に説明してくださっている。

V.A.『MIKUHOP LP』 - 音楽だいすきクラブ

初音ミク、いやボーカロイドは唄を歌うとき、楽譜上の一音に対して言葉を載せるクセがある。そんな制作エディット上で避けられない事実と、上述した発音上の問題が絡んだ日本語ラップの避けられない問題が絡むことで、奇怪なキメラの姿が見えてくる。機械的な発音で流麗なメロディを唄うことも難しい彼女らのたどたどしさが、より鮮明になって立ち現れてくるのだ。

このように、ボカロのヒップホップ(ミックホップ)はそもそも前提として要求される技術力がすこぶる高いため、ROCKやテクノのようにはボカロP間に浸透しにくい。しかしこれは裏を返せばつまり、ミックポップを主として作曲活動をしているボカロPは皆かなり技術力が高いということである。実際、ミックポップ界の重鎮こと松傘は、『ele-king』のインタビュー記事において「ボカロの発音面をクリアすべくライブラリはEnglishを使用している」と答えており、これはボカロの発音の難点と良点をしっかり把握していることの証左に他ならないだろう。

そんなキワモノだけどツワモノな皆さんが一堂に会したのがこのEP。前述した松傘をはじめ、空海月、緊急ゆるポートなど名だたるミックホッパーが名を連ねる。オススメはMSSサウンドシステムの「耳なりはフェンダーローズ」。「仕事が早く終わったら 一緒に飲もうよ今日は金曜日」なんてフレーズ、無職学生で未成年な私でも痺れてしまう。

 

21位『Birthday』

VOCAR&B界を最初期から支えてきた古参である鮭Pの1stアルバム。「OVER」等で知っている人も多いのではないだろうか。彼の音楽と言えばまず何をおいてもその美しいベースラインである。彼はもともとあまり音を重ねない作曲スタイルなので楽器一つ一つの音が綺麗に響く。そこに初音ミクの悲しげな歌唱が印象的に相乗し、質素だが強く心に残る鮭P空間が形成される。「ボカロの声は悪目立ちしがち」という難点を逆手に取ったテクニックだ。オススメは何と言っても「End of Rain」。失恋の悲しみを雨になぞらえ、雨がいつまでもやまないことを憂うセンチメンタルな一曲。

 

20位『フラッシュバックサウンド』f:id:nikoniko390831:20171115021636j:plain

ボカロックの大御所クワガタPの1stアルバム。全編にわたってエモーショナルな曲が詰め込まれており、特に表題曲である「フラッシュバックサウンド」は、氏の過去曲がフラッシュバックする歌詞構成となっている。まさに「emotional」を軸に緻密に作られたコンセプトアルバムと言ってよい。他にも代表曲である「君の体温」、「パズル」等も収録されており、コンセプトアルバムであると同時にベストアルバムとしても満足できる秀逸な作品に仕上がっている。筆者オススメは「感覚」。ツンデレって本来こういうのを指すんじゃないかって思うんですよね。

 

19位『Miracle Child』

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多様性を謳いながらもやはりギーク的な音楽ばかりが市民権を得ていた初~中期ボカロシーンに、当時なら「ドキュソ音楽逝ってヨシ!」と非難轟々であったろうレゲエやR&Bを、その圧倒的音楽センスによって見事輸入したtakamattの1stアルバム。全体的にアダルティな雰囲気で、所謂「ボカロっぽい」音楽に少し飽きてしまったという方にオススメ。takamattの音楽の真髄は、お洒落だったり上品だったり綺麗だったりする言葉と言葉の間にチラリと人間臭さが垣間見えることにあると思う。筆者オススメは「Etude No.3」だ。GUMIに対する一般的なイメージとして「子供と大人の狭間的存在」というのが挙げられると思うのだが、そこらへんが歌詞に上手く反映されている。「木枯らしだけが まるで共通言語」なんて浮ついたー言ってしまえば「背伸びした」ー歌詞は彼女にしかこなせないと思う。

 

18位『Stance on Wave』

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音ゲー界隈の重鎮ことかめりあのベストアルバム。こういう、歌詞の解釈等の「音楽そのものの外にある価値についての考察」が一切必要とされない、ただひたすらに耳に快感をもたらすものとしての麻薬のような音楽を作れるのは本当にすごいと思う。こればかりはかめりあのサウンドメイキングのセンスに脱帽である。彼の音楽の中では、VOCALOIDの無機質な声もまた快感要素のひとつであり、完全に楽器として機能している。「音」を「楽しむ」ものこそが「音楽」であるという原初的な態度に立ち返るきっかけとしてこれ以上素晴らしいアルバムはないかもしれない。筆者オススメは「鈍色トリガー」。何という重厚なベースライン。何という音圧。「耳が幸せ」という感想はこういう音楽のためにあるのかもしれない。

 

17位『FUNCOOL』

 chet brockerが実質無料で公開している1stベストアルバム。こんなものがタダで聴けるのヤバすぎでしょ。私が音楽理論や音楽的タームといったものに全く詳しくないため、彼が具体的にどういう音楽を作っているのかを説明することはできない。ただ、率直な印象を言わせてもらうと、「乾いている」。彼の音楽の最大の魅力はその乾ききったアナーキーな世界観にあるのだ。例えるなら、乾ききった荒野の真ん中でただただ無意味だと分かっていながらそれでも叫び続けているような。「悲しい」とか「苦しい」といったワードを羅列するよりもよっぽど虚無を感じる。私のオススメは「walk around」。散歩に出たくなったり出たくなくなったりする。

 

16位『DQN Style2』

http://vocadb.net/Album/CoverPicture/9589?v=10

 コンピレーションアルバムというのは往々にしてある同一テーマのもとでそれに沿った曲が収録されるものだ。つまり、コンピの趣向が自分の趣向と合致したならば、アルバム全体として好感が持てるようになることが多い。このコンピは読んで字の如く、レゲエやEDMやラップといった、所謂「DQN」な音楽が集結した珠玉のアルバムである。単なるオタク的営為の集積と見なされがちなVOCALOIDであるが、これは真っ向からそういう一般的認識に立ち向かった勇気ある一枚である。指向性としては先述した『Miracle Child』に近いものがあるかもしれない。現にこのコンピにもtakamattが参加している。かごめPやDixie Flatlineといったブラックミュージック系の大御所をはじめ、パトリチェフや青屋夏生等の比較的新進気鋭の若手勢力も参加している。オススメは何といってもkonkonの「青」。中高生の適度に歪んだ日常の叙述。

 

15位『ZANEEDS #3』

 パイパンPなどというボカロ界でも屈指に不名誉な二つ名を持つテクノ界隈の重鎮ことざにおの3rdアルバム。彼の作るサウンドはまさにプロの犯行と呼ぶにふさわしい。耳に馴染む心地よいラウンジ系の曲を得意とし、本アルバムも彼の特性が遺憾なく発揮されている。しかしサウンドが上品で清潔感に溢れている一方で歌詞は最低最悪である。そもそも、「ペヤングだばぁ」だの「ちんげ in the まんげ」だのといった具合に低俗極まりない曲名の動画を開いてよもやオシャレなラウンジミュージックが流れ出すとは誰が想像しようか。歌詞も「ペヤングだばぁ・・・流しにだばぁ」だの「ちんげまんげ一本抜いてパイパンいぇいいぇいホワホワ~」だのもう本当に「酷い」以外の言葉が出てこない。しかしこの、あるベクトルでは限りなく善い方向に向かおうとする一方で別のベクトルでは限りなく悪い方向に向かおうとするこの倒錯感がクセになるのもまた事実。このアルバムもそんな「ざにお節」が大炸裂している。特に聴いて欲しいのは「Hello_World」。『ZANEEDS#2』までで暴れまくった反省を活かしたかと思いきや慎ましくなったのは曲名だけである。

 

14位『Re:Start』

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 初音ミク10周年を記念して製作された「ドキッ!有名Pだらけの大コンピ(過去曲もあるよ!)」的アルバム。新旧の有名Pがここまで一堂に会する機会というのはそうそうないのではないだろうか。一応、10歳を迎える初音ミクに対する「おめでとう」アルバムではあるのだが、この「おめでとう」の形はPによって本当に様々で、素直に謝辞を述べる者から皮肉交じりに愛をちらつかせる者まで十人十色という印象。初音ミクを、ひいてはボーカロイドを長い間聴いてきた者にとってはどの曲も感涙に値するエモーショナルさを持っているだろう。まさに記念碑。そんな百戦錬磨の大物P渾身の曲たちがひしめく中でもひときわ異彩を放つのがwowakaの「アンノウン・マザーグース」。「ボカロっぽい」という形容を体系化した戦犯として揶揄さえされた彼の、この鮮やかな反逆を見よ。これほど感情が爆発したサビが未だかつてあっただろうか。この衝撃を味わえるだけでもこのアルバムを購入する価値は十分にあると断言しよう。

 

13位『バフォメット』

トリッキーなサウンドメイキングに定評のあるなんとかPことKiichiの1stアルバム。このアルバムの印象を簡潔に言い表すなら「漠然とした不安」。彼の作る音には何かえもいわれぬ靄がかかっており、その内実を知ることは容易ではない。それはまるで「初音ミク」という存在の不安定さを示唆しているようで、8曲目の「プラスチック・ガール」なんかはそれを如実に表している。「私はドコにいるの?私はソコにいるの?」と無機質な合成音で淡々と歌う彼女に何か声をかけてあげたい、でもそれは決してできない。そんなもどかしさを執拗なまでに描き切ろうという試行の結果がまさにこのアルバムなのではないか、私はそう考える。殊に初音ミク存在論を履修したいと思っている者にとってこのアルバムは不可避なマイルストーンの一つだろう。オススメは「[I Love You]。現実からフワーッと遊離しながらも地に落ちていくような、そんな一曲。

 

12位『D.A.technology』

 

R&BやJazzといったお洒落路線からワルツ、チップチューン、果ては二胡を使用した民族調バラードまで幅広くこなすDATEKEN氏の1stアルバム。このアルバムはコンセプトが完全に散逸しきっており、むしろ「散逸しきっている」という点においてコンセプトが統一されている。つまり、一枚の中に全く違った精神性を持った音楽が混在しており、人種の坩堝ならぬ「曲種の坩堝」なのである。氏の多彩さが前面に押し出されたエネルギッシュな一枚だ。「紡唄」や「trick art!」といった氏の代表曲も聴きごたえがあるのだが、その中でも私が一番注目したのは最終トラックの「君が生まれた日」。この曲単体だけで聴けば単なる何の変哲もないアコギバラードに思えるかもしれないが、雑多な音楽がカオスに混じり合うこのアルバムにおいては、この単純で実直なナンバーはかえってその純潔さを増し、聴く者に強烈な存在感を与える。ちょうど様々な色で彩られたキャンパスに白いペンキをぶち撒けた時のように。これを最後に持ってきた氏のセンスには素直に脱帽せざるを得ない。

 

11位『アヒルホスピタル』

入手の困難さにかけてはこのランキング随一であろう「捻れたアヒル」のコンピアルバム第3弾。ゼロ年代ボカロ界のアングラシーンを牽引したヒッキーPはじめとするボカロPが結集したのがこの「捻れたアヒル」。本作は「病院」をテーマに各Pが珠玉の一曲を持ち寄った。やはり「病院」というテーマらしく生や死といった人間の根源的な部分に言及した曲が多い。そしてそれをいのちを持たないボーカロイドが淡々と歌い上げる気味の悪さ。まるで生死の境目を彷徨う患者を冷静に見守る医者のようである。だからジャケットイラストも白衣の巡音ルカと看護服の初音ミクなのだろうと推測できる。そんな彼女らの冷めきった視点から見た人間の生は、死は、果たしてどんな色をしているだろうか。いわばこのアルバムは、いのちを持たない彼女らによって記述された患者カルテの集積なのだ。オススメはやはり若干Pの「サボテンと蜃気楼」。私は初めてこの曲を聴いたとき恥ずかしながら号泣してしまった。「愛」は、「愛」だけは、ボーカロイドの冷徹なフィルターを介してもなお美しく、そして儚いのである。

 

9位『Flowers』

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エレクトロニカ界隈で名を馳せ、アスキー編集の『大人が聞くべき「初音ミク」』に自身の曲が選出されたこともあるハイネケンPの2ndアルバム。この『Flowers』はこの前のボマスで頒布されたばかりの新譜だが、死ぬほど完成度が高かったので迷うことなくこの順位でランクインさせた。

余談だが、頒布ブースで私が本人に「なぜ今になって新譜を?」と尋ねたところ「いや、曲が溜まったんで」という答えが返ってきて痺れてしまった。かっこよすぎだろこの人。

閑話休題。彼の音楽はメロディから歌詞から初音ミクの調教までどれをとっても地に足がつかない感じで浮遊している。それでいて、深く深く、どこまでも沈んでいく。しかし沈む先は暗澹と光を呑む深海の闇ではなく、むしろ「幸福」とか「愛」とかといった暖かな光である。ちょうど午後の白昼夢の中を揺蕩うような、そんな感じ。この、「そんな感じ」としか形容できないところもまた実に彼らしいといえよう。あなたも是非彼の「輪郭のない音楽」に浸ってみないか?オススメは「Eniadarg」。音声ライブラリは白鐘ヒヨリ。初音ミクを中心に起用しているボカロPなので純粋にヒヨリの声が物新しいというのもあるが、イヤホンで聴いた時の何とも言えない「包まれてる」感がたまらない。立体音響というのだろうか。

 

8位『MONSTER BEERGARDEN』

ナウなヤングにバカウケ中のナナホシ管弦楽団の1ndアルバム。青臭い歌詞と唸るエレキギターがダサカッコいいというのは氏のどのアルバムにも言えることだが、その中でも全体的な完成度がとりわけ高いのがこれ。若者特有の葛藤と歓喜がカオスに入り乱れているので最初から最後まで聴き通すと胸焼けを引き起こす恐れがあるので注意してほしい。

彼の紡ぐ歌詞はどれも子供と大人の狭間を彷徨っており、それについて自己問答を繰り返すというパターンが多い。「MISTAKE」の「歳だけ増えたってどうにも 変われる気があんましないや そりゃそうだろ 中身は子供のまんまだ」という歌詞が一番それを端的に示していると思う。んでもってそれらを酒やタバコや女で乗り越えようという考え方も実に青い。現に私の大学の友人にもそういう奴がたくさんいる。ニヒルになりたいけど周囲から見たらひどく滑稽に見える、そんな残念な若者たちの心の叫びを代弁しているのが彼のロックなのかもしれない。オススメは「最後の晩餐」。アルバム限定収録のインターネット未発表なので本当にここでしか聴けないレア音源だ。「最後」を飾るに相応しい渾身の一曲である。

 

7位『アンハッピーリフレイン』

もはや説明不要。中期ボカロシーン随一の牽引者ことwowakaの一般流通版アルバム。「グレーゾーンにて。」から「アンハッピーリフレイン」まで、彼の駆け抜けた軌跡が全て詰まった魂の一枚である。彼は「現実逃避P」という二つ名の通り、報われない現実とそこから抜け出したい自我の織り成す軋轢を見事に歌詞に落とし込むことに成功している。確かにメロディのキャッチーさも人気上昇の一要因ではあると思うが、歌詞の秀逸さもまた彼の音楽の評価ポイントであると私は考える。

また、彼は後に「ボカロっぽい」という概念を体系化させた戦犯として一部から非難を浴びることになるが、私はこれについて懐疑的な意見を抱いている。確かに結果論的にはそういった概念を完全に根付かせたかもしれないが、それはきっと「ローリンガール」や「裏表ラバーズ」といった氏の代表曲に対するイメージによるものが多いだろう。しかし彼は他方で当時、いや今でもなかなかボカロシーンでは見られないようなサウンドメイキングをしている。それは「グレーゾーンにて。」や「ずれていく」を聴けば分かるだろう。これらは所謂「サビ」が限界まで温存されており、最後の最後で大爆発するという曲進行を取っている。これは動画サイトでの閲覧を前提とする音楽としてはなかなか大胆な試みである。なぜなら動画サイトで曲を聴く者は大抵、自分が気に入らなければ動画タブを閉じる。だから上記の2曲も「なんだこれサビねぇじゃん」と一笑に付して動画を閉じられてしまう可能性だって十分に考えられたのだ。しかしそれを敢えて投稿した。あまつさえ「グレーゾーンにて。」は処女作であるにもかかわらず。これはwowakaの自信の表れと捉えてよいだろう。動画を開いた者は必ず最後まで聴き通すだろうという圧倒的な自信である。その目論見は見事的中し、彼は一躍時の人となった。まさに得るべくして得た名声である。そしてそんな「自信の結晶」こそがこのアルバム。徹頭徹尾全身全霊。自然と背筋がゾクゾクすること請け合いである。オススメは表題曲である「アンハッピーリフレイン」。wowakaの集大成と言っていいだろう。私は2017年度に「アンノウン・マザーグース」が投稿されるまで完全にこの曲が氏の最後の曲になると思っていた。アナクサゴラスの種子論のように、この曲を覗けばwowakaがどんな人物でどんな音楽を作っているのかが一瞬で分かると思う。

 

6位『Antenna』

これも説明不要だろう。「ありふれたせかいせいふく」や「すろぉもぉしょん」でヒットを飛ばし、現在でもシーンのトップに君臨し続けるピノキオピーの6thアルバム。本作は氏のアルバムの中でも特にエクスペリメンタルな一枚で、私としてはこれが氏の大きなターニングポイントとなったのではないかと推測している。

14~15年は「ボカロ衰退期」とも揶揄される時代で、所謂「ミリオンヒット曲」がなかなか飛び出て来ず、この時代にシーンを去っていったPも多かった。しかしその混沌の渦中でも彼は決して初音ミクを見捨てなかった。どうすればシーンで生き残れるか、彼は自問自答を続けた。「すろぉもぉしょん」では「ゆっくり」こと「SofTalk」を起用したり、「頓珍漢の宴」では14年以前に流行した曲調をオマージュしてみたり、とにかく彼は生き残るために、より正確に言えば「初音ミクとともに」生き残るために試行錯誤を重ねた。そしてその結果たどり着いた一つの答えがこのアルバムの次のアルバムである『HUMAN』である。言ってしまえばこのアルバムは『HUMAN』になる「過程」なのだ。『HUMAN』ではアルバムタイトルの通り、初音ミクの歌唱に加えピノキオピー本人の声という「人間」が参加している。コーラスとかそういうレベルではない。ガッツリ彼が歌っているのだ。初音ミクと一緒に。これこそが、彼が追い求めていた「初音ミクとともに生き残る」ためのたった一つの冴えたやりかたなのだろう。

話を戻すが、『HUMAN』を念頭に置いて考えるとこの『Antenna』はそれに至るための「試行」がたくさん詰まったマイルストーンだと解釈できる。『HUMAN』が完全な統一性を持った一方で『Antenna』はどこかとっ散らかっている。だがそれでいい。なぜならそれは氏の初音ミクに対する熱意が強烈であるがことの証に他ならないのだから。ピノキオピーのアルバム史上最も熱を持った一枚こそがこの『Antenna』であると断言しよう。おすすめは表題曲である「アンテナ」。歌詞を読んだだけで自然に涙が溢れてしまいそうになる、そんな一曲。「そう アンテナを張って 色んなものを見て聴いて 触って つねって確かめて そして各方面を好きになって 嫌になって アンテナを張って ミスって 説教臭い言葉にちょっと引いて うるさい くたばれ 悪態ついて 数年後にゆっくり理解して アンテナを張って 色んなものを見て聴いて 触って つねって確かめて そして価値観の渦に飛び込んで 溺れちゃって そうアンテナを張って 遊んで 学んで わずかな喜び見つけて つらかったことも いつか笑って 数年後に思い出して」。

 

5位『Youthfull』

電柱の人こと電ポルPの3rdアルバム。正直ジャケ買いした。メッチャ良くないですかこのジャケ写真。彼の音楽性をよく反映した最高の一枚だと思う。安易なニヒリズムが横行し、何か権威的なものを皮肉っているリリックほど素晴らしいなどといったどうしようもない作詞スタンスがシーンに瀰漫していた時代性の中、こういった実直な曲が書け、なおかつそれで人気を獲得できていたというのは絶賛に値する。また、彼の作る音楽というのは言ってしまえば「駅前でシンガーソングライターが歌ってるような」音楽である。つまり彼はニコニコ動画という土俵においてはあまり見られないタイプのサウンドメイカーなのだ。だからこそ、そういう新規で特異なものに対する受容体がニコニコ動画界隈全体に形成されていないうちから己の腕一つでコンスタントに人気を飛ばしていた彼はまさしく天才であるといえよう。本アルバムでは夏が密かなテーマになっているらしく、夏らしい爽快な曲調のものが多い。オススメは「Youthful Finder」。ファインダーを通して広がる2人の生活には山もあれば谷もある。その全てが愛おしいからこそ、人はそれを逃すまいとシャッターを切り続けるのかもしれない。

 

4位『Piece of Cipher+』

変拍子の貴公子の異名を取るTreow(ここではELECTROCUTICA名義を用いる)の一般流通版アルバム。彼ほどトリッキーな音楽を作るボカロPを私は知らない。どうやったらこんな複雑で精緻なコード進行を思いつくんだろうか。アコギで弾こうとして嫌な思いをした思い出が頭をよぎった。

私は音楽理論に明るくないため、ここの音の出し方がいい!といった仔細に及んだ指摘は申し訳ないができないのだが、そんな素人からしても彼の作り出す音には並々ならぬ技術力の高さを感じる。「Chaining Intention」の動画のコメントで彼の音楽を「殺人的」と形容していた人がいたが、まさに言い得て妙だと思う。間違っても「音が質的に尖っていて先鋭的」という意味ではない。言うなれば、先の見えないジェットコースターに乗せられ、ぐわんぐわんと為すがままに振り回されている感じである。これからどんな音が展開されるのか、彼は絶対に読ませない。そんな予測不可能な彼の音楽に、我々はいつしか虜になっているのだ。

サウンドメイキングもさることながら歌詞にも目をみはるものがある。彼の書く歌詞には自我がない。誰が主体で、誰に向けられているのか、何一つとして判然としない。文脈を持った文章なのか、単なる言葉の羅列なのか、そんなことを延々と考えながら我々は深い深い懐疑の中に沈んでゆく。そうして曲が終わる頃になってハッと気付くのだ。この、我々の逡巡でさえも、全て彼の思惑の内なのだと。オススメは「L'azur」。フランス語で「青空」という意味だ。この曲はネタ曲を除けばボカロ曲の中で一番高いキーが要求される曲で、なんと最高音は驚異のhihihiD#。ボカロの特性を最大限利用した攻めの一曲。恐ろしいのはこれが彼の処女作ということである。

 

3位『Exchange Variation』

「影炎≒Variation」や「閃光⇔Frustration」など一発で彼だと分かる曲名と鬼畜じみたドラムでお馴染み、やいりの一般流通版アルバム。彼の音楽は実に手が込んでいる。というのも、彼の来歴を見てみると、ゆよゆっぺとはもともと知り合いでバンドを組んでいるとの記述がある。ゆよゆっぺといえばボカロシーンにおけるラウドロックの担い手としてその名を轟かせる有名Pであり、そしてやいりもまた彼に多少なり影響を受けている部分が散見される。しかしやいりの音楽はゆよゆっぺの音楽とは決定的に違う。ゆよゆっぺはガチガチのラウドロック、つまりボカロシーン以外の音楽シーンにおけるラウドロックを専攻している一方で、やいりはラウドロックをしながらも「ボカロ音楽」という文脈を読み込んでいる。敷居の高い音楽を咀嚼し敷衍することで普段ラウドロックを聴かないニコニコのリスナーにもラウドロックを聴いてもらおうとしたのだ。事実、彼の作る曲は音こそ重いが随所にニコニコミュージック的なレトリック(ピアノ連弾、分厚いシンセサイザーなど)がふんだんに起用されており、とても聴きやすい。そして彼の思惑は見事に再生数という形で現れ、彼は人気Pの仲間入りを果たした。

このアルバムはそんなやいりの「技」が詰まった渾身の1枚である。曲名は最後の「〇〇〇〇〇」を除いて「熟語+記号+英単語」のパターンのみなのでCDを取り込んだ時のスッキリ感がたまらない。オススメは「神様∴Application」。メロディが「ボカロっぽい」のはもちろんのこと、歌詞の何とも言えない中二病具合もポイントだ。ボカロ音楽への揶揄として用いられがちな「ボカロっぽい」という形容だが、それを技巧的に突き詰めればこんなにカッコいい曲ができるんだよと、やいりの音楽はそう主張している。

 

2位『あくとわんっ!』 

R&Bからスカロックまでありとあらゆる「オシャレ」な音楽を自由自在に作り出すパトリチェフの1stアルバム。『あくとわんっ!』という題名の通り、このアルバムでは鏡音リンAct1しか使用されていない。まさに鏡音リン原理主義。この狂気とも形容できるこだわりこそがこのアルバムの価値を最大まで高めている。

鏡音リンAct1といえばハキハキとしたその歌声である。しかしこれを活かすのは至難の技で、歌わせる曲のジャンルによっては彼女のハキハキとしたエネルギッシュな歌声がかえって曲全体としての統一感を破壊しかねない。鏡音リンAct1を真に最大限に利用するには、どのような曲調が彼女の声質にピッタリなのかを判別する音楽的教養はもちろんのこと、「鏡音リン」というキャラクターついての的確な理解が必要不可欠となるのだ。これを踏まえると、鏡音リンAct1オンリーのアルバムを出すということがいかに勇猛果敢なことなのかが容易に想像できよう。しかしパトリチェフは持ち前の教養深さとその狂気的な鏡音リンへの愛によってこの2つの要件を見事に満たした。実際、アルバム中のどの曲を聴いていても違和感が全くない。全ての曲が鏡音リンのため「だけ」に作られているという印象を強く受ける。とある一人のリン廃が、全てを捧げて綿密に作り上げたステージの上でマイクを握る鏡音リンの歌声は、どこまでも、どこまでも伸びていく。ただ高らかに・・・。オススメは「スピンドル・シャフト」。こんなに気持ち良さそうに歌う鏡音リンが見られるのは本当に彼のアルバムだけなんじゃないかとすら思ってしまう。サビの伸びが印象的でフレッシュな一曲。

 

1位『GHOST』

説明不要のボカロック界、いや、ボカロ界の重鎮ことDECO*27の一般流通5thアルバム。最後の最後にこんな誰でも知ってるアルバム持ってきやがってなんだてめぇブン殴るぞという玄人の皆様のご指摘もそりゃまぁごもっともなんだが、それでもこれを1位にしたのにはそれ相応の理由があるのだ。あーコラ!タブ閉じないで!あとちょっとで終わるから! 

私はあまり一般流通版アルバムを購入しない。「売り出す」ことが念頭に置かれている以上、ちょうどクリープハイプの契約レーベルが勝手にベスト盤を発売して炎上した例の一件のように、クリエイター側の制作意図がおろそかにされてしまう危険性が高いからである。というのは建前で、一般流通版は高額だからである。同人版が安すぎるというのもあるが。しかし今回ばかりはクロスフェードを視聴した瞬間に少しの迷いもなく「買おう」という確固たる意志が芽生えた。一言でこのアルバムを形容するなら「圧倒」が相応しい。

「何かを評価する」という行為について考えたとき、その態度は大抵2種類に分けられる。一つは、作品を受容する前に自分の中にある点における評価基準を設けておいて、実際に受容した後でその「ある点」が評価基準に達していた場合にその作品を高く評価する、というものである。この評価態度は、自己の理性によって基準を設け、自己の理性によって判断を下しているという点において「積極的」な評価態度である。これに対し、もう一つは、「素晴らしい」「すごい」といった感情が理性による営為に先行する、というものである。これはつまり、言ってしまえば「なんかわかんねーけどスゲー・・・」という状態である。つまり、理性的思考が作品自体の放つ価値に気圧され、いわば「受動的」になってしまっているということだ。

曲がりなりにも物書きをしている身からすれば、後者など言語道断である。こんな評価態度ばかりが罷り通ってしまっては、レビューサイトは「わかんないけどすごい」「なんかやばい」だのといった小学生並み、いやそれ以下の犬も食わない駄文で埋め尽くされ、やがて日本は滅びるだろう。

しかし、それを踏まえた上で敢えて言わせてもらおう。このアルバムは、ヤバい。「ヤバい」という「感じ」が理性による理屈付けを完全に拒んでいる。私だって本当は落ち着いて「ここがスゴイ」とか「この歌詞は〇〇のメタファー」といった具合に俯瞰的に評論したいのだが、この、圧倒的な「感じ」の奔流の前ではどんな美辞麗句もチープな瓦礫となって流されてしまうのだ。お手上げである。とりあえず、何が言いたいかというと、私のこの感動体験の記述を通して『GHOST』というアルバムのヤバさの片鱗を少しでも知っていただきたいということである。

初期からシーンの最重鎮として活躍し続けてきた彼だが、その人気は今もなお留まるところを知らない。それどころか彼は常に進化し続ける。2016年投稿の「ゴーストルール」の再生回数がそれを端的に物語っているだろう。彼はこれからどこへ向かっていくのだろうか。これからも片時たりとも目を離せない。

とまぁありのままの実感をつらつらと書き綴ってはみたものの、流石にこんな投げっぱなしのレビューで文を締めるのも申し訳ない。なので少しばかり頑張って理性的なことを書き連ねておこうと思う。

『GHOST』というタイトルは一体何を示しているのだろうか?「そりゃゴーストルールのことでしょ」と言われてしまえばそれまでなのだが、私はそれ以上に意味を持ったタイトルであると推測する。そのためにはジャケットイラストに注目する必要がある。『GHOST』ではそれ以前の彼のアルバムからは考えられないようなことが起きているのだ。それは「初音ミクが描かれている」ということである。今までは、(初音ミクではない)女の子だとか国旗を模した模様だとかが起用され、「初音ミク」感を薄めようという意図を感じた。これは、DECO*27が初音ミクを、ひいてはVOCALOID自己実現の手段として考えている側面が強かったことの証左であろう。しかし、ここへきて、やっと初音ミクが登場した。「このアルバムの主役はDECO*27ではなく私なのだ」と主張するように。構図としては、初音ミクという実体を持たない「幽霊」がDECO*27に憑依し、彼を媒介として自己を顕現化させた、というのがピッタリだろう。「GHOST」というのは紛れもない、初音ミクのことを指すのである。これはもはや「反逆」と呼んで相違ない事件だろう。DECO*27お馴染みのメロディに乗りながらも、その歌声は確かに魂を帯びており、「私はここにいる」としきりに生を叫ぶ。きっと私が感じた「ヤバい」という「感じ」もこの部分に対して感じたものなのだろう。

オススメ曲は「針鼠」。2017年で一番多く聴いたボカロ曲は?と訊かれたら迷わずこれを挙げる。電話口で、終電間際のホームで、電子の海で、自我を吐き散らすどうしようもない生き物、通称「メンヘラ」。その愛おしいほどに愚かな彼女らの頭の中は、意外と打算に塗れているのかもしれない。「尖ってないのに痛がるのは 実際一回きりの切り札 かまってちゃんなの 甘えたいのもっともっと溶けていたいよ」。

 

以上です。ここまでで約1万5000字らしい。正気の沙汰ではない。でもこれって僕の愛なの♡

 

これを機にあなたもボカロアルバム収集沼にどっぷり浸かってみてはいかがだろうか?私がウンディーネとしてあなたを地獄まで導こう。

 

それでは皆さん、良いボカロライフを・・・