美忘録

羅列です

ボーカロイドのこれまでとこれから 中編

第5章~ボカロ衰退期~

 

はじめに断っておくが、私はこの時期(14年~15年)のことをボカロ衰退期などとは微塵も思っていない。衰退論が表面化したのは完全に某歌い手(以下ケツエメ)が「なぜボーカロイドは衰退したのか」などという犬も食わない糞動画をアップロードしたことが原因である。その分析は実に浅薄、主観的でエビデンスに欠ける。そもそも、ボカロ衰退論と銘打っている割にはケツエメ自身の歌い手としての立場(ボカロ曲に依拠しきっている状態)からのボカロ批判が主で、果てには「歌いたくなる曲がないのが悪い」「歌い手と組めば再生数は伸びる」などといった無礼極まりない物言いをかます傍若無人ぶりである。だがしかし彼の主張を実際の現状と錯覚するリスナーが多かったのも事実である。これについてはナナホシ管弦楽団が『初体験』

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によって反論を述べている。現役のボカロPでさえ辟易するような稚拙な言説を流布したケツエメには後に淫夢厨を中心とした反対勢力による鉄拳制裁が下ることになるが、それはまた別のお話。

 

では「衰退期」でないのなら何なのか。一言で表すのは難しいが、この時期は「繭期」と呼ぶのが一番しっくりくる気がする。ハチ、wowaka的な音作りはもはや前時代のものになり、ボカロ文化はほぼ原初の状態に戻された。しかし原初期と違うのは、音楽的土壌が原初期のそれに比べ圧倒的に肥沃なものとなっていたことである。

 

確かにボカロブーム期には、ハチ、wowaka的な音作りの楽曲ばかりが注目されがちだったが、その表面下で他ジャンルの曲も着実に進化を遂げていた。例えば、上記したtakamattの『Just a game』や、たーPの『jelLy』。

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この楽曲は、クールなベースラインと青臭い歌詞でボカロファンクというマイナージャンルの地位を一気に押し上げた。これが後に繭期の『ドクター=ファンクビート』あたりの大ヒット曲に続いていくこととなる。また、「感性の反乱β」や「アンダーグラウンドボカロジャパン」といった前衛音楽を後援するタグの誕生によって、ノイズミュージックやミニマル、果てはポエトリーリーディングといった超イレギュラージャンルまでもが日の目を浴びるようになった。このあたりのジャンルは主にATOLS、きくおといった後に「電ドラ四天王」の称号を与えられるPによって大きく発展した。きくおは『マカロン

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等のダブステップ中心の曲調が、きくおは『物をぱらぱら壊す』

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等の狂気的な歌詞がそれぞれ特徴だ。

 

こうしてボカロブーム期で密かに研鑽されてきたマイナージャンルの発展は繭期で遂に頭角を現し始める。ロック一辺倒だったランキングが徐々に多様性が見られるようになったのである。ちんたらの『めめめめめ』

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やDECO*27の『ハートアラモード』

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あたりがそれを端的に示している。今まではアンダーグラウンドに過ぎなかったジャンルが、ロック等のマジョリティ的ジャンルのドミナンスに対して大きく介入できうる力を持ち始めたのである。これはひとえにブーム期までの間に表面下でコツコツ積み重ねてきたマイナージャンルが遂にライトリスナーをも引きつけられるほどの魅力を帯びてきた証拠だろう。だがしかし、だからといってロックジャンルが他ジャンルの介入を両手放しに受け入れてくれるわけはなく、ナブナの『夜明けと蛍』、

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Orangestarの『アスノヨゾラ哨戒班』

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など、新時代ボカロPのロックチューンが対抗馬として数多く登場した。

 

また、この頃のボカロシーンは、言語的な意味でも多様化を迎えており、全編にわたって英語歌詞が使用されている、蝶々Pの『About me』、

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そして海外からの刺客ことCRUSHER-Pの『ECHO』

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なども注目を浴びた。まさに多様化の時代だ。

 

よく「14~15年の時期はボカロ動画の再生数がグッと下がった」などという話がまことしやかに囁かれるが、これは単に「ミリオン動画が減った」ということ、つまり「再生数の一極集中が減った」ということに他ならず、多種多様な音楽ジャンルを包括するボカロシーンとしてはむしろ良い傾向である。こうしてボカロシーンは再び多様化の時代を迎え、エクスペリメンタルな試みがあれこれ行われたのである。ボカロPの試行錯誤の努力はもちろんのこと、安易な衰退論に惑わされることなく彼らを支援し続けたこの時期のリスナーの真摯な姿勢もまた、次に来るボカロリバイバルブーム時代のための大いなる糧となったわけである。

 

第6章~ボカロリバイバルブーム~

 

16年以降、ボカロシーンには再びブームの波が押し寄せている。16年はのっけから大変エモーショナルな年だった。まずその一番槍となったのがTaskの『キドアイラク』。

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心地よい電子音のビートにミクとGUMIの軽快なラップ、更にCメロでのシャウトと音的ギミック盛りだくさんの豪華な一曲。まさに新時代幕開けのファンファーレと形容して相違ないだろう。

 

そして16年度を象徴するバケモノが遂にその姿を現す。DECO*27『ゴーストルール』だ。

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バリバリのロックチューンと爆発的なサビ、そして寓意的な歌詞は従来までのDECO*27と変わりはない。ではなぜヒットしたのか?それはひとえにこの曲が繭期で培われてきた技巧を完璧に踏まえているからである。繭期では、前述したCRUSHER-P、また、ギガPやワンダフル☆オポチュニティ!のように、主にアメリカ、ヨーロッパ圏で流行しているシンセ中心のクラブミュージック(AviciiやZeddのようなEDMやスクリレックスのようなダブステップ)を応用した楽曲が台頭した。DECO*27はそれらを、自身の得意とするアップテンポなロックチューンに組み込んでしまったのだ。この曲以外にも、シンセ音の取り込みはみきとPが後の『39みゅーじっく!』

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で、Orangestarが『DAYBREAK FRONTLINE』

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で行っており、特にみきとPは従来までの「邦楽系ロック専門P」というイメージを刷新した。このように、16年以降のボカロシーンは14~15年での研鑽の上に成り立っている雰囲気がある。

 

しかしそれと同時に、新たに「人気曲の条件」のようなものもそれとなく誕生した。それこそが「曲中にコール部分を作ること」である。『ゴーストルール』ならサビ部分の「おーおーおーおー」の部分、『39みゅーじっく!』なら「おーいぇー!」「Hey!」「Yes!」「(もう一度名前呼んで)初音ミク!」の部分がそれに該当する。それらの中でも特にこの風潮に対して鋭く反応したのが、15年以降の最重要ボカロPとして真っ先に名前が挙がるナユタン星人である。『惑星ループ』

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などを動画付きで聴いてみれば分かると思うが、彼はただコールを付けるだけではなく、動画内で「トゥットゥルルットゥ」とコールの歌詞を丁寧にも明記してくれているのだ。当然コメントもそのコールで埋まる。そして彼の後を追うように、和田たけあきことくらげPも『チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!』

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でコール部分を導入、見事大ヒットを記録した。

 

コールの入った曲が流行している背景には、「マジカルミライ」や「ニコニコ超会議」等のボカロ音楽イベントの増加とそれに伴うリスナーの「一体感を感じたい」という欲求の増幅がある。私も春先に初めて「ニコニコ超会議」のボカロDJライブに参加したが、家で一人で曲を聴くのとは全く違う、DJ(クリエイター)とリスナーがインタラクティブに高め合っている空間がそこにはあった。そしてその相互性を更に強めてくれる強力な接着剤となるものこそがまさに「コール」なのである。リスナーはコールをすることで、単なる「観覧者」から「参加者」へと自分自身を昇華させ、DJや他のリスナーたちと一体感を得ることができるのだ。ニコニコ動画という狭い見識を飛び出して外部にも目を配る殊勝さが各ボカロPに備わっていたからこそこのような発展的な風潮が完成したのだろう。

 

しかし、あれだけ革新的だったハチ、wowaka的サウンドメイキングもいつしか廃れていったことを鑑みると、このコール文化がいつかは終焉を迎えることも可能性の範疇内だろう。だがしかし、それでいいのだ。ボカロはこれから先もスクラップ&ビルドを繰り返し、より洗練された文化を育んでいく。「終わった」「産廃」等の揶揄を背中に受けながらも前へ前へと進んでいく。

 

~後編へと続く~

 

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